平成9年(1997年)4月、水島正博は福井城内堀公園に三岡八郎・横井小楠の「旅立ちの像」建立。 |
この像は、巌流島における宮本武蔵との決闘で有名な佐々木小次郎が、剣の修業に取り組んでいる様子をイメージした像である。 武蔵の死後、彼の門人たちの話を熊本藩士、豊田正剛が記録し、その子正脩・孫の景英によって江戸時代中期に整理された『二天記』という書物によれば「岩流(佐々木)小次郎」は「越前宇坂の庄、淨教寺村の産」で、同国の富田勢源の家人となって幼少より稽古を見覚え、成長して3尺余(約1m)の大太刀をもって勢源の打太刀を勉むとある。 富田勢源は中条流という1尺5寸(約50cm)の小太刀を使用する剣の流派の達人であったといわれ、その道場は福井市西新町の神明神社付近にあったといわれている。
財団法人 歴史のみえるまちづくり協会 |
鹿峰は本名は美代丸。福井市浄教寺町(旧足羽郡一乗谷村)出身の医師。水原秋桜子門下の俳人。 |
一乗谷の一番奥まったところ、一乗山(標高740m)の山懐にある木々に囲まれた流水の滝を一乗滝という。落差は12m。 養老元年、奈良朝、元正天皇の時代に、越の大徳泰澄大師が開いたとされ、不動明王をまつり、白滝神社を一乗滝の上方に立てたところとして知られている。 また、剣豪佐々木小次郎は修行場とし、心技の秘術「燕返し」をあみだしたところと伝えられ、一方怪力の力士北国兵太夫が、その怪力を授かったところと伝えられている。 小白山一乗山よりの霊水が深樹の間を白布の如く落下する一乗滝の壮観は、永遠にその名を留めおかれる名瀑である。
福 井 市 一乗観光協会 |