今年の旅日記

道後温泉〜碑巡り〜
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大街道から伊予鉄道城南線で道後温泉へ。

道後温泉本館


朝早いので、人は少ない。

道後温泉本館から道後温泉の碑巡りをする。

子規の句碑@


旅人のうた登り行く若葉か南

『寒山落木』巻一(明治二十五年 夏)に収録の句。

子規の句碑A


湯の山や炭売りかへる宵月夜

『寒山落木』巻一(明治二十五年 終りの冬)に所収の句。

子規の句碑B


十月の海は凪いたり蜜柑船

 明治28年(1895年)10月19日、子規は三津浜を出航。最後の上京をした。

『寒山落木』巻四(明治二十八年 冬)に所収の句。

子規の句碑C


漱石が来て虚子が来て大三十日

『寒山落木』巻四(明治二十八年 冬)に所収の句。

 漱石と子規との交友は密であつたし、漱石と私との交友は密であつたのであるが、子規・漱石・虚子と三人が出逢つたことは極めて稀であつた。松山に子規が大學生であつた時分に歸省した、其時同じく大學の學生であつた漱石が訪ねて來た。其時私も行き合わせて三人で出逢つた事が一度、それから此の時、即ち明治二十八年の大晦日に子規の根岸の家で漱石と私と一緒に出逢つたことが一つ。その他にはもう出逢つた記憶はないのである。

高浜虚子『子規句解』

山頭火の句碑


ずんぶり湯の中の顔と顔笑ふ

この句の碑は「俳句の道」にもある。

大和屋本店の足湯前に子規の歌碑があった。


足なへの病いゆとふ伊豫の湯に

   飛びても行かな鷺にあらませば

明治31年(1898年)8月9日、新聞「日本」に載る。

『竹の里歌』の明治31年(1898年)「故郷を憧ふ」に収録。

この歌の碑は子規記念博物館の前にもある。

漱石の句碑


半鐘と並んで高き冬木哉

明治29年(1896年)1月3日、子規庵の句会で詠まれた句。

この句の碑は子規記念博物館の前にもある。

松山城へ。