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若山牧水は大正2年10月28日神子元島の灯台守である大学時代の学友古賀安治を訪ねる為渡島し、1週間留った。その折の体験は、80首の大作となって歌集「秋風の歌」に収められ、又小説「灯台守」や小品「島三題」の一となった。わが郷土が大歌人によって詠まれたことを誇りとし、永遠に敬慕するよすがとしてその中の1首を碑に刻み、この地に建てることにした。染筆は特に嗣子若山旅人に請うたものである。 昭和55年6月1日
下田市歌碑建立発起人会 代表 賀茂短歌会 |
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大正2年(1913年)10月28日、若山牧水は下田港より灯台用便船に乗り、神子元島に渡る。 |
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下田港より灯台用便船に乗りて神子元島に渡る、一木なき岩礁なりき |
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船は五挺櫓漕ぐにかひなの張りたれど涛黒くして進まざるなり
第7歌集『秋風の歌』 |

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大正2年(1923年)10月31日付けで若山牧水と古賀安治が飛騨の高山にいる友人に宛てた絵葉書の寄せ書きがある。 |
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すっかり、手紙をかく時すらなかった この廿八日に島に渡って、燈台生活をやってゐる 荒海のなかの岩礁 その上に燈台は建てられてゐる いろいろ驚くことが多い
牧水
牧水氏来遊 飛騨の高山は私が好みの町の一つである あなたが其處に居られるそふな 歌も時折見てゐます 折角御勉強なさるよふに
安治 |
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神子元島は島とは云ふものゝ、あの附近の海に散在してゐる岩礁の中の大きなものであつた。赤錆びた一つの岩塊が鋭く浪の中から起つて立つてゐるにすぎなかつた。島には一握の土とてもなく、草も木も生えてはゐなかつた。其處の一番の高みに白い石造の燈臺が聳え、燈臺より一寸下つたところに、岩を刳(く)り拔いた樣にして燈臺守の住宅が同じく石造で出來てゐた。
『樹木とその葉』(島三題 その三) |
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神子元島の灯台は、昭和7年(1932年)に職員を島から引き揚げて渡海交代による保守となり、昭和51年(1976年)から巡回保守(無人化)となった。 |
