
| 『若山牧水歌碑インデックス』(榎本尚美、榎本篁子著)には「昭和62年3月3日建立」とある。 |
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清酒「天城」の醸造家淺田六平は、若山牧水が心を許した酒友であり、川端康成とは碁仇の間柄でもあった。これらの交友や牧水の酔態についても川端は、「伊豆の踊子」の装幀その他=i1927年5月)、牧水と湯ヶ島温泉(1928年11月)≠ネどにより追想している。 牧水はこの地で愛飲した「天城」に1首をよせた。右の碑に刻まれた歌である。地酒にことよせて六平への友情を詠んだ歌である。 六平の孫淺田一枝は、この碑を建て、1ヵ月を経ずして1985年12月世を去った。一枝は井上靖しろばんば≠ノ登場する少年芳衛≠サの人でもある。 清酒「天城」も今次大戦中姿を消した。 茫々たる往時の文人たちと山村湯ヶ島の心温まるかゝわりを一枝はこの歌碑により吾々に伝えようとしたのである。
(宇田博司 記)
1987年3月3日
昭和の森伊豆近代文学館、天城観光協会 |
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その時私が淺田さんに五目、局長さんが私に五目。ところが今や、私が淺田さんと互先まで進んだのとは正反對に、局長さんは私に聖目まで退却した。私が五目の進境である。從つて私は淺田老人と足掛け三年の間に數知れず戰つた。 淺田六平さんは清酒「天城」の醸造家である。もう七十の坂を越えようと云ふのに飄々乎として自ら樂しみ愚痴を云はない品のいい老人。
「伊豆の踊子」の装幀その他
湯ヶ島温泉には私も延日數にすると三年間もゐたし、近年はずゐぶん多くの文學者が遊んだけれども、ほんたうに湯ヶ島を歌つたのは、やつぱり牧水氏であらうと思ふ。近くの沼津に住んでゐたからばかりでなく、牧水氏は特に湯ヶ島の風光人情を愛してゐたのであらう。歌集「山櫻の歌」は、いはずと知れたこと、湯ヶ島の歌人といつてもいい程に、牧水氏はこの温泉の歌を澤山殘してゐる。
牧水と湯ヶ島温泉 |
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牧水好みの銘酒「天城」再現 歌人若山牧水は、大正の終わり、伊豆湯ヶ島温泉郷に滞在しました。野山を歩き、溢れる湯につかり、酒宴に興じながら数々の歌を残しています。 牧水の歌に、自然と旅、そして酒は欠かせぬもの・地酒「天城」の酒樽に直に口をつけ、喉を鳴らしておいしそうに飲みほした、というエピソードも伝わります。 歌のために酒を飲み、歌ができればまた酒を飲む、そんな牧水の愛した銘酒「天城」を、このたびここに再現いたしました。牧水がこの酒のために残してくれた歌とともに。じっくりとお味わいくださいませ。 |
