芭蕉の句碑


山なかや菊は手折らぬ湯の匂ひ

草津の湯畑から石段を登って光泉寺へ。


石段の途中に小林一茶の句碑があった。

草津山光泉寺


真言宗豊山派の寺である

光泉寺の境内に芭蕉の句碑があった。


山なかや菊は手折らぬ湯の匂ひ

出典は『奥の細道』。

元禄2年(1689年)7月27日、芭蕉は山中温泉を訪れた。

   温泉に浴す。其功有明に次と云。

山中や菊はたおらぬ湯の匂

『奥の細道』

「有明」は有馬温泉のこと。

明和8年(1771年)秋、越後の是非庵北烏建立。

安永4年(1775年)、加賀の桂下坊一菊は『草津集』を上梓。

一菊の句

朝露に花なき草のかたち見る


芭蕉の句碑とは言っても、全く読めない。

脇に草津町教育委員会の解説が書いてあった。

芭蕉句碑

草津町指定文化財

山なかや菊は手折らぬ湯の匂い

 芭蕉が『奥の細道』の旅の途次、加賀の山中温泉で詠んだ名句で、山中温泉と並ぶ名湯草津温泉の効能をたたえたものと思われます。

『泊船集』には「加州山中重陽」と前書きがある。

 明和末年(1770年)頃、是非庵という人の建立と伝えられています。芭蕉翁の眠る義仲寺の『諸国翁墳記』に、この句碑が記録されており、群馬県内にある芭蕉句碑のなかで2番目に古いものです。碑の裏には芭蕉に桃青の号を贈った深川臨川寺佛頂禅師が芭蕉の句境の高さを讃えた詩句が刻んであります。

群馬県で最も古い芭蕉句碑は富岡市一ノ宮の太子堂塚古墳にある。

句碑の表が読めないくらいだから、碑の裏など読めるはずがない。

 そこで草津町役場に問い合わせたところ、碑の裏の讃は次のようなものと伝えられているそうだ。

聞道桃青二字 深川臨川寺開山
仏頂禅師以見 桃苑則詰之事蹟
祥者多出類史 亦著在口碑存
焉茲大略立碣  銘白
桃青桃青 真身瑶池
連城無価 美玉一枝

簡単に読めるものではなかった。

 通称「温泉塚」と呼ばれています。

草津町教育委員会

『諸国翁墳記』に「温泉塚 上ъ瘢ネ艸津在 是非庵建」とある。

草津町には囲山公園の白根神社にも芭蕉の句碑がある

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