芭蕉の句碑


花の陰諷に似たる旅寝かな

富岡市一ノ宮に太子堂塚古墳がある。


 前方後円墳で、原形は全長約80m、高さ約7mほどの規模であったそうだが、後円の原形はかなりくずれている。

比較的保存状況のよい前方部に芭蕉の句碑があった。


花の陰諷に似たる旅寝かな

出典は『阿羅野』(荷兮編)。「大和國草(平)尾村にて」と前書きがある。

 貞亨5年(1688年)、『笈の小文』の旅の途中、吉野の平尾村で詠まれた句。

寛延4年(1751年)7月、雲裡坊建立。

緑泥変岩だそうだ。

記念集『旅寝塚』(高橋円之編)がある。

宝暦5年(1755年)6月、南嶺庵梅至は「旅寝塚」を見ている。

上州一宮に詣爰にも翁の塚をものして旅寐塚と印す華のかけ謡に似たる旅寝哉の句なり

麻の香や實にも旅寐の花の陰


『諸国翁墳記』に「旅寝塚 上州一宮下アリ 連中建」とある。

群馬県で最も古い芭蕉句碑である。

ちなみに群馬県で2番目の芭蕉句碑は草津の光泉寺にある。

 藤岡市の観音寺にある芭蕉句碑は「群馬県最古 寛延元年建立」と書いてあった。

宝暦11年(1761年)4月27日、雲裡坊没。

芭蕉句碑の右に雲裡坊の句碑があった。


初雪や世に散物の絶て後

宝暦12年(1761年)、高克明らが建立。

 高克明は下仁田の文人高橋道斎のこと。此方庵連円之。「多胡碑」を発見して世に広めた人である。

寛政6年(1794年)、77歳で没。

円之の句

じみじみと水にもとるや雪仏

『ゆき塚』(朔宇編)

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