芭蕉の句碑
何に此師走の市にゆくからす
千曲市稲荷山治田町に治田公園がある。
治田公園に「芭蕉翁師走塚」があった。
右に芭蕉の句が刻まれている。
何に此師走の市にゆくからす
出典は『花摘』(其角著)。
元禄2年(1689年)、芭蕉46歳の句。
元禄3年(1690年)1月2日、荷兮宛書簡にある。
越人へ冬申達候。相届可レ申候。年始無レ恙哉。歳旦三つ物御家例可レ為と存候。おましの浦に波枕して、めづらしきとしをむかへ候。
歳暮
何に此師走の市に行くからす
都の方をながめて
菰を着て誰人ゐます花の春
撰集抄の昔をおもひ出候まゝ、如レ此申候。
芭蕉は湖南膳所で越年した。
何に此師走の市に行烏
此句、師のいはく「五文字の意気込に有」と也。
『泊船集』には「何をこの師走の市を行からす」とある。
文化元年(1804年)10月12日、信陽日々齋連中建立。記念集『師走塚句集』刊。
『諸国翁墳記』に「師走塚 信州更科郡稲荷山ニ在 日々齋卜胤門人中」とある。
日々齋卜胤は稲荷山元町の人。治田神社神主の子。本名は児玉喬明。加舎白雄の門人。初号巨帆。
文化14年(1817年)8月4日、77歳で没。
治田公園の溜池
溜池のほとりに治田神社がある。
治田神社は延喜式内信濃国四八座中の一社。
祭神は治田大神・事代主神・倉稲魂神。
橋詰公園へ。
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