芭蕉の句碑
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岐 阜
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やとりせむあかさの杖になる日まて
岐阜市梶川町に妙照寺という寺がある。
三光山妙照寺
日蓮宗
の寺である。
妙照寺の住職日賢和尚は
己百
と号した俳人。秋芳軒宜白。
貞享5年(1688年)、芭蕉を京都に訪ねて入門。
貞享5年(1688年)6月15日、芭蕉は妙照寺を訪れ、約1ヵ月滞在したという。
ところどころ見めぐりて、洛に暫く旅ねせしほど、みのゝ国よりたびたび消息有て、桑門己百のぬしみちしるべせむとて、とぶらひ来侍りて
しるべして見せばやみのゝ田植哥
己百
笠あらためむ不破のさみだれ
ばせを
(う)
『笈日記』
(岐阜部)
妙照寺の庭に芭蕉の句碑があった。
やとりせむあかさの杖になる日まて
出典は
『笈日記』
(岐阜部)。
芭蕉は妙照寺の庭の奇岩絶壁に一つ葉の叢生するのを見て、
夏来てもたゝひとつ葉の一葉哉
と吟じたという。
昭和41年(1966年)6月5日、
金子兜太
は妙照寺を訪れたようである。
昨夜は、大野女史と西岡君がおそくまで喋り、女史はその後暁方の長良川を歩いたとか。松井、小瀬両君につれられ、安井氏の車で、安井作の菊花石庭と芭蕉逗留の寺を見る。芭蕉の頃のままという部屋、閑静で、少し広いが、書ける感じ。
『金子兜太戦後俳句日記』
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