「芭蕉句碑」


五月雨にこの笠森をさしもぐさ

千葉県長生郡長南町笠森に笠森観音(HP)がある。


延暦3年(784年)、伝教大師最澄開基。

天台宗の寺である。

女坂の階段


女坂の階段を登ると、芭蕉の句といわれる碑があった。

芭蕉翁句碑


五月雨にこの笠森をさしもぐさ

「笠」、「さし」は「五月雨」の縁語。

今とし裡翁十七回忌に当る日より桃二・阿杉・芋伯等二三子と力をあハせ一簀の志願を運ひて、三翁の石碑を南総の大悲霊場に造立す

   五月雨に此笠森をさしもくさ

故翁天和のむかし笠森大悲閣上に登りて吟し玉へは、即石碑に彫てさミたれ塚と称し

『蕉門花伝授』

 「天和(1681〜1683)の昔、芭蕉が観音堂の上で詠んだ句」ということだが、芭蕉が笠森観音を訪れたという記録はない。

俳諧一葉集』に「さみだれや此笠森をさしも艸」とあるが、存疑句である。

『芭蕉句鑑』には「天和元より三迄の夏の部」に収録されている。

 安永6年(1777年)10月12日、雲裡坊十七回忌に五老峯故貝並びに高山村の渋谷桃二・江戸加賀町の沢田阿杉・笠森村の中村芋伯建立。

 千葉県で最も古い「芭蕉」の句碑とされる。笠森観音に次いで古い芭蕉の句碑は成田山公園にある。千葉県に現存する最古の「芭蕉塚」は市川市の泉養寺にある。

五老峰故貝は笠森村の俳僧。俗名中村義房。雲裡坊の門人。

安永7年(1778年)、『蕉門花伝授』。王母園桃二跋。

天明6年(1786年)、70歳で没。

 『諸国翁墳記』に「五月雨塚 上総笠森観音霊場アリ 五老峯故貝建之」とある。

芭蕉翁句碑の右に獅子庵蓮二翁の句碑


片枝に脉や通ひて梅の花

安永6年(1777年)10月12日、建立。

獅子庵蓮二翁は各務支考。黄山叟。

黄山叟の

   片枝に脈や通ひて梅の花

の佳吟を碑面に顕し梅花塚とあかめけらし、

『蕉門花伝授』

芭蕉翁句碑の左に義仲寺雲裏翁の句碑


すへられて尻の落着く瓢かな

安永6年(1777年)10月12日、建立。

雲裡坊は各務支考の門人。

それ先師有椎翁の遺骨ハかの幻住庵の傍に収て石碑をゑほし塚と号し仙府つゝしか岡にハ

   羨めは崩れて見せるほたん哉

といへる句を彫て牡丹塚といへり、上毛一の宮にハ

   初雪や世にちるものゝ絶て後

と云る句を彫て雪見塚と号し、野衲ハそのかみ東都芝浦に至りて始て門葉に連なりしに

   すへられて尻の落付く瓢かな

と師翁甲々入庵の句あれハ是を幸に彫りてひさこ塚と尊む、こゝに三碑の並ひ在セハそこの史僊か白骨も笑ひを含ミ蕉門得髄の霊魂も嬉しとおもひ給ハさらんや、

『蕉門花伝授』

二天門


風神、雷神を安置。

日本唯一の四方懸造り(しほうかけづくり)の観音堂


国の重要文化財である。

拝観料は100円。

本尊は十一面観世音菩薩。秘仏である。

坂東三十三観音の第31番札所。

 寛保2年(1742年)秋、佐久間柳居は門人鳥酔の郷里上総地引村に仮寓して両総を行脚。笠森観音に句を奉納している。

墨繩にかしこき堂や蔦かつら


 宝暦10年(1760年)、露柱庵に滞在中の鳥酔は笠森観音を訪れている。

登蓮花楼 笠森村 坂東順礼霊蹤也

山頭又一層高き所に四方かけ造の大悲閣半空に危く立つ紫の雲常に覆ひ鬼神是を護て真身を慕ふ里人かいはく飛騨のかくみか墨矩なりとさも覚えぬ往昔高祖上人清澄山を出て先此御山に至り最第一の法花新宗弘法の加護を祈り給ふに不思議にも下山の時墨田日徳といへるものに相あふて師檀の約諾す是を基立とかやそこを行合坂といふ名は今に呼ふこゝには 墨繩のかしこき堂や蔦かつらといへる先師の一章を残す

      行堂の手に置く笠や露しくれ


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