芭蕉の句碑


丈六に陽炎高し石の上

成田山公園に芭蕉の句碑があった。

芭蕉の句碑


丈六に陽炎高し石の上

 この句碑は芭蕉追福のために天明8年(1788年)に建立された。句は貞享5年(1688年)旅の途中の新大仏寺で詠まれたものである。

 「丈六」は、釈迦の身長が1丈6尺(約4.85メートル)あったというところから、1丈6尺。また、その高さの仏像。

伊賀の國阿波の庄といふ所に、俊乗上人の旧跡有。護峰山新大仏寺とかや云、名ばかりは千歳の形見となりて、伽藍は破れて礎を残し、坊舎は絶えて田畑と名の替り、丈六の尊像は苔の緑に埋て、御ぐしのみ現前とおがまれさせ給ふに、聖人の御影はいまだ全おはしまし侍るぞ、其代の名残うたがふ所なく、泪こぼるゝ計也。石の連(蓮)台・獅子の座などは、蓬・葎の上に堆ク、双林の枯たる跡も、まのあたりにこそ覺えられけれ。

丈六にかげろふ高し石の上

さまざまのこと思ひ出す櫻哉


初案は「陽炎の俤つゝれ」。

   丈六のかげろふ高し石の上

   かげろふに俤つくれ石のうへ

 此句、当国大仏の句也。人にも吟じ聞せて、自も再吟有て、丈六の方に定る也。

『三冊子』(土芳著)

阿波の郷大佛寺にて、

      陽炎の俤つゝれいしのうへ

此句後丈六に陽炎高しと改る。


天明8年(1788年)10月12日、松風庵玉斧建立。曲直庵亀文書。

松風庵玉斧は八日市場蕪里の俳人大木幸太夫。

寛政5年(1793年)、没。

曲直庵亀文は江戸浅草の俳人本多亀文。

潮来市の長勝寺にある「時雨塚」も曲直庵亀文の書である。

 千葉県で最も古い「芭蕉」の句碑は笠森観音にあるが、存疑句。笠森観音に次いで古い芭蕉の句碑である。

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