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松尾芭蕉(1644〜1694)が「宗房」と号していたときの吟。寛文3年(1663年)、京俳壇の重鎮だった松江重頼が編集した『佐夜中山集』に入集した2句の1句で、文献の上では芭蕉が20歳の作品です。 この句は、謡曲『鞍馬天狗』中に「夕を残す花のあたり、鐘は聞えて夜ぞ遅き、奥は鞍馬の山道の、花ぞしるべなる、こなたへ入らせ給へや」の一節を引用。「入せ旅」に「入らせ給(た)べ」をかけてあり、その意を転じたところに興を求めている。 季語は「月」で秋。句の意味は「この明るい月の光が道案内です。どうぞこちらへおいでになってください、この旅の宿へ」ということでしょう。 句の傾向として、当時の芭蕉が身につけていた貞徳門や談林調の特色をよく示しており、芭蕉が目指した蕉風の新調より、言葉の上でひねりを加えた句といえます。
三重県伊賀市 芭蕉翁顕彰会 |
| 寛文3年(1663年)の「春やこし年や行けん小晦日(こつごもり)」に次いで古い句、芭蕉句碑の句としては最も古い句である。 |
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月ぞしるべこなたへいらせ旅の宿 「折から」のこの月がよい道案内です。さあ旅のお宿をいたしましょう。どうぞこちらへおはいり下さい」の意。 手法は、このころ流行した、謡曲を踏まえる貞門風の発想である。「鞍馬天狗」の「奥は鞍馬の山道の、花ぞしるべなる。此方へ入らせ給へや」の「花」を「月」とし、「旅」に「入らせ給へ」の「給へ」を「たべ」として掛けた技巧が発想の眼目になっている。謡曲「落葉」には「月を都のしるべにて」とも見える。 『佐夜中山集』(重頼編)は巻末の記載により寛文四年(一六六四)六月の成立と思われるので、寛文三年以前の作。同書により『詞林金玉集』にも所収。『佐夜中山集』は出典書としては最も古いもので、松尾宗房の名で二句を収める。 |
