芭蕉の句碑東 京


いかめしき音や霰の檜木笠

東京都品川区鮫洲の国道15号(第一京浜)沿いに泊船寺がある。


泊船寺北門


臨済宗大徳寺派の寺である。

永徳2年(1382年)に開かれたといわれる。

 中興二世の千巌宗億は俳人で、松尾芭蕉と親交が深く、境内に牛耕庵(泊船堂、芭蕉堂)を建てて芭蕉を迎えたと伝えられる。

泊船寺に木造松尾芭蕉坐像もあるそうだ。

本堂の前に「芭蕉像安置」の碑があった。


 寛政5年(1793年)、芭蕉百回忌に石河積翠が泊船寺に芭蕉堂を建て、芭蕉像に「いつかまた此木も朽ちん秋の風」の句を添えて奉納したのを記念して建てたもの。

裏に「旅人と我名呼れんはつ時雨」とあったようだ。

後日、写真を撮りに行った。


泊船寺境内に芭蕉堂があったようだ。

[鮫]洲 天林山泊船寺 境内在 当時庵主白牛

[芭]蕉堂

いにしへ此寺内に蕉堂在しか中絶せしを文化十四年石河某公の隠士再建ありしと云々


芭蕉讃仰碑


はせをの前に芭蕉なく
   芭蕉の後にはせをなし
木犀庵芭蕉

芭蕉大なるかなはせをの葉
楼川居士

寛政12年(1800年)秋、建立。獅子眠鷄口書。

この碑は『東都古墳志』に「芭蕉塚」として収録されている。

楼川は江戸の人。谷口氏。祇空の門人である。別号無事庵。

天明2年(1782年)、84歳で没。

獅子眠鷄口は楼川の養子で二世木犀庵となった。

享和2年(1802年)、85歳で没。

 文化年間(1804〜17)、泊船寺に山奴という俳人が住み、その弟子景山(大井村の名主)とともにこの地域の人たちに俳諧の道をひろめ、その門に入る者数百人に及んだという。山奴はのち出家して白牛禅師となったが、本寺が俳諧寺として有名になったのも、彼の力に負うところが大きい。

山奴は雪中庵蓼太の門人。

山奴の句碑もあった。


漁火に鳥の飛行霜夜哉

泊船寺に木造白牛禅師坐像があるそうだ。

泊船寺本堂の左に大きな芭蕉の句碑があった。


いかめしき音や霰の檜木笠

 貞亨元年(1684年)、『野ざらし紀行』の旅で桑名本統寺住職琢恵を訪う途中に詠んだ句である。

『蕉翁句集』(土芳編)は「元禄二巳のとし」とする。

天保14年(1843年)10月、百五十回忌に星野連建立。星喜庵北因書。

『諸国翁墳記』に「□ 塚 東都品川鮫洲泊船寺建 願主俳沙彌某」とある。

泊船寺に木造宝井其角坐像、木造服部嵐雪坐像もあるが、非公開。

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