芭蕉の句碑

『奥の細道』東 北


早苗とる手もとや昔しのぶ摺り

東北自動車道国見SAに芭蕉の句碑があった。


芭蕉の句碑


早苗とる手もとや昔しのぶ摺り

 元禄2年(1689年)5月2日(陽暦6月18日)、芭蕉が福島市の文知摺観音堂にある文知摺石を眺めて詠んだもの。

 あくれば、しのぶもぢ摺の石を尋て忍ぶのさとに行。遥山陰の小里に石半土に埋てあり。里の童部の来りて教ける。昔は此山の上に侍しを往来の人の麦草をあらして此石を試侍をにくみて此谷につき落せば、石の面下ざまにふしたりと云。さもあるべき事にや。

 「しのぶもぢ摺」といえば、『小倉百人一首』にある河原左大臣源融(みなもとのとほる)の和歌。

みちのくのしのぶもぢずり誰故に乱れ初めにし我ならなくに

『古今和歌集』では「乱れむと思ふ我ならなくに」。

 文知摺石は陸奥国按察使(むつのくにあぜち)源融と山口村の長者の娘虎女との悲恋物語として有名。

 芭蕉が訪れた頃、文知摺石は地中深く埋もれていた。往来の人々がここで麦の葉を摺るので、この巨石を地中深く落としたのだと聞いて、芭蕉は「さもあるべきこと」とこの句をつくったのだそうだ。

平成元年(1989年)3月、芭蕉旅立ち300年を記念して建てられた。

国見SAは何度か利用しているのに、気づかなかった。

信夫文知摺は国見SAから近いというが、かなり遠いと思う。


文知摺観音堂は福島西ICが近い。

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