芭蕉の句碑
『奥の細道』〜東 北〜
早苗とる手もとや昔しのぶ摺り
元禄2年(1689年)5月2日(陽暦6月18日)、芭蕉が福島市の文知摺観音堂にある文知摺石を眺めて詠んだもの。 |
「しのぶもぢ摺」といえば、『小倉百人一首』にある河原左大臣源融(みなもとのとほる)の和歌。 |
文知摺石は陸奥国按察使(むつのくにあぜち)源融と山口村の長者の娘虎女との悲恋物語として有名。 芭蕉が訪れた頃、文知摺石は地中深く埋もれていた。往来の人々がここで麦の葉を摺るので、この巨石を地中深く落としたのだと聞いて、芭蕉は「さもあるべきこと」とこの句をつくったのだそうだ。 |