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明治17年(1884年)9月16日、岡山県邑久郡本庄村(現:岡山県瀬戸内市邑久町本庄)に生まれる。 明治33年(1900年)2月、遠賀郡八幡村大字枝光931番地(現:八幡東区山王1丁目)へ家族とともに移住し、創業時の八幡製鐵所で図工として働いていた。 明治34年(1901年)、単身上京。 明治35年(1902年)、早稲田実業学校に入学する。 明治40年(1907年)、岸たまきと結婚。 明治42年(1909年)、たまきと協議離婚。 明治43年(1910年)、たまきと再び同棲。 明治44年(1911年)3月、東山温泉に逗留。 大正元年(1912年)、第一回夢二作品展覧会を京都府立図書館で開催。 大正3年(1914年)、「港屋絵草紙店」を開く。 大正4年(1915年)、たまきと離別。 大正7年(1918年)、二回目の個展を開く。 大正8年(1919年)、夢二は本郷菊富士ホテルでモデルのお葉(本名は永井カ子ヨ)を紹介される。 大正8年(1919年)6月、初めて伊香保を訪れた。 大正9年(1920年)1月、夢二の永遠の恋人彦乃は病床で夢二の名を呼びながら25歳の短い一生を終えた。夢二は37歳。 大正10年(1921年)、お葉と渋谷に所帯を持つ。 大正14年(1925年)、作家山田順子と交渉を持ち、お葉は去る。後、順子とも別れる。順子は秋聲の愛人となる。 |
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徳田秋聲新妻門生等を携へて來るを見る。秋聲子の新夫人はもと画工の竹久夢二の妻にて淫蕩の噂かくれなき美人なり。秋聲子が繼妻を迎へし事は其作れる小説を見れば明なり。
『斷腸亭日乘』(大正15年11月6日) |
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昭和5年(1930年)44月、群馬県の伊香保温泉に約1ヶ月滞在。 昭和6年(1931年)5月、翁久允は竹久夢二を伴い再渡米。望郷の念にかられ夢二は「青山河」を描き、ジャーナリスト坂井氏に送った。坂井氏は第二次大戦中の収容所生活で「青山河」を守り通した。やがて終戦を迎え、ある日、「青山河」が夢二会に届いた。 昭和9年(1934年)9月1日、49歳で逝去。19日、雑司ヶ谷霊園に埋葬される。 昭和56年(1981年)、伊香保に夢二記念館が開館。「青山河」は半世紀の長い旅を終えて、榛名山に帰ってきた。 |
