幸田露伴ゆかりの地

幸田露伴居宅跡

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台東区谷中の朝倉彫塑館の裡に一本の珊瑚樹がある。


幸田露伴居宅跡だそうだ。


幸田露伴居宅跡

台東区谷中7丁目18番25号

 幸田露伴は、明治24年1月からほぼ2年間、この地(当時の下谷谷中天王寺21番地)に住んでいた。

 ここから墓地に沿った銀杏横丁を歩き、左を曲がると天王寺五重塔があった。五重塔は寛永21年(1644年)に感応寺(天王寺の前身)の五重塔として創建され、、明和9年(1772年)2月に焼失、寛政 3年(1791年)棟梁八田清兵衛らにより再建された。

 露伴は当地の居宅より日々五重塔をながめ、明治24年(1891年)11月には清兵衛をモデルとした名作『五重塔』を発表した。

 同26年(1893年)1月、京橋区円山町(現、中央区)へ転居したが、現在も傍らに植わるサンゴジュ(珊瑚樹)は、露伴が居住していた頃からあったという。

 露伴は、慶応3年(1867年)7月、下谷三枚橋横町(現、上野4丁目)に生まれ、すぐれた文学作品や研究成果を多数発表するなど、日本文学史上に大きな足跡を残した。昭和22年(1947年)7月没、墓所は大田区池上本門寺にある。

台東区教育委員会

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