芭蕉の句碑


人も見ぬ春や鏡のうらの梅

二本松市亀谷の亀谷坂頂上の高台に観音堂がある。


観音堂


堂正面には延亭2年(1745年)銘「千臂尊」の扁額が掲げられている。

観音堂の右手に芭蕉の句碑があった。


人も見ぬ春や鏡のうらの梅

出典は『己が光』(車庸編)。

元禄5年(1692年)の歳旦句。

安永5年(1776年)、蔵六坊虚来建立。

 二本松市指定文化財

亀谷観音堂の芭蕉句碑

 句碑は石段を登りつめた右側に、高さ約1.3m、最大幅約1.1m、厚さ約25cmの板状の自然石を用い建立されている。風化および一部破損のため少々判読しにくいが、春鏡塚と題し、「人も見ぬ 春や鏡の うらの梅」の句と、建立者として蔵六坊虚来の名が刻まれている。裏面には「題春鏡塚碑陰」として、芭蕉の略歴と虚来が建立したことを記し、末尾に「安永丙申之春 藤宗英識」とあり、安永5年(1776年)に建立されたことがわかる。藤宗英とは、当時二本松藩主の侍医であり文学者であった遠藤鹿山のこと、虚来については正体は明らかでない。

 市内にある歌碑・句碑の中では最も古く、本市の文化史を考える上で貴重である。

 当句は元禄5年(1692年)元旦に作られ、その意は、「鏡の裏の模様の梅は、ひっそりと春の訪れを告げている。人が見もしない春というべきであろう。」と解されている。

二本松市教育委員会

芭蕉の句碑としては福島県で最も古いものであろう。

享保4年(1719年)5月12日、佐藤馬耳が「田植塚」を建立。

寛保元年(1741年)10月12日、藤井晋流は「時雨塚」を建立。

「田植塚」・「時雨塚」に芭蕉の句は刻まれていない。

観音堂の下に幸田露伴の句碑がある。

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