幸田露伴ゆかりの地

幸田露伴文学碑〜露伴児童遊園地〜

indexにもどる

 東武曳舟駅から国道6号(水戸街道)を越えて行くと、第一寺島小学校の先に露伴児童遊園地がある。


露伴児童遊園地


露伴児童遊園のこと

 ここは文豪幸田露伴が明治41年から大正13年まで蝸牛庵と名付けて親しんだ住居の跡です。露伴は明治26年冬この寺島町かいわいに来住し、それから約30年最も力の溢れた時期をこの地にすごし、数々の名作を書かれました。当時の露伴は門弟を相手に剣道、弓道、相撲などして、よく庭で遊んだそうです。

 このゆかりの地を永久に記念したいと露伴を思慕される地主の菅谷辰夫氏が区に寄贈されました。寺島の土地を愛し親しんだ幸田露伴の旧跡を子供たちの楽しい遊び場としていつまでも保存しようと児童遊園を造ったものです。
墨田区

 大正13年6月、幸田露伴は向島から小石川表町66番地(小石川3−3−8)に移る。

露伴児童遊園地の片隅に幸田露伴文学碑があった。


 世おのづから数(すう)といふもの有りや。有りといえば有るが如く、無しと為せば無きにも似たり。洪水天に滔(はびこ)るも、禹(う)の功これを治め、大旱(たいかん)地を焦(こが)せども、湯(とう)の徳これを済(すく)へば、数有るが如くにして、而(しか)も数無きが如し。

「運命」より

難しい文章である。

「数」とは「運命」のこと。

幸田露伴ゆかりの地に戻る