北原白秋の歌碑

〜府内城〜

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府内城は江戸時代、本丸・東ノ丸、西ノ丸と山里丸を含む北の丸からなり、天守閣のあった本丸周辺には水堀があり、北方も海に面した典型的な浮城となっていました。 堀の東側から北側には、堀を囲んで、堤防状の土手が築かれていました。 これは、帯曲輪と言われ、城と海とを区画するための外周施設で、古絵図によれば、354間(約644メートル)の長さと書かれています。現在、お堀の東側に外苑として細長く残っているこの場所がそれにあたります。 |
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昭和3年(1928年)7月23日、北原白秋は大阪朝日新聞(現・朝日新聞)の企画により福岡県大刀洗町から大阪まで飛行機に搭乗する。その後、白秋は妻子を伴い別府、大分、由布院に滞在。 |

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二十四日、我空を飛びて大阪へ向ふあひだ、妻は子らを伴ひて、太刀洗より大分なる生家へ下る。我、行を了るや、その翌の日、紅丸に乗じて、そを迎ふと航海す。かくして、別府、大分、由布院に淹留旬日、再び妻子と瀬戸の内海を渡りて帰る。その折の長歌竝に短歌二三。 |
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大分にて 白雉城お濠の蓮のほの紅に朝眼よろしも妻がふるさと
『夢殿』 |
