井上円了ゆかりの地

塩原温泉〜「塩原紀行」〜

 大正2年(1913年)6月15日、東洋大学の創設者井上円了は塩原温泉を訪れ、「塩原紀行」を残している。

 大正2年6月15日 雨のち晴れ。午前9時、上野を発し、午後2時、西那須停車場に着す。車窓より田野を望むに麦みな熟し、半ばはすでに刈り終わり、稲田は8、9分どおり挿秧をなせり。西那須野より関谷村まで3里の間、近ごろ軽便鉄道を敷設し、機動車野の往復あり。

 挿秧(そうおう)は田植えのこと。明治45年(1912年)7月8日、塩原軌道西那須野〜関谷間が開通。

塩原軌道駅舎跡


 塩原温泉場はおよそ4、5里の間に10箇所あり。

  大網  福渡  塩釜  塩湯  畑下
  門前  須巻  古町  新湯  湯本

 これを塩原十湯と称す。全村戸数350戸、人口2000余を有すという。当日は大網を経て福渡に至り、桝屋旅館に投宿す。桝屋のつぎに丸屋、和泉屋松屋あり。いずれも塩原中屈指の旅館にして、みな内湯あり。西那須よりここに至る5里、関谷より2里を隔つるなり。 桝屋一名満寿屋は箒川に望み、塩渓第一の奇勝と呼ばるる天狗岩に隣接し、樹色石影ともに軒に映じ、波高水声ともに窓に入り、風光すこぶる秀霊なり。

 塩原十湯は、今では大網、福渡、塩の湯、塩釜、畑下、門前、古町、中塩原、上塩原、新湯、元湯で「塩原十一湯」と呼ばれている。「桝屋旅館」は福渡温泉にあったが、昭和29年の大火で門前温泉に移っている。

天狗岩


 16日 晴れ。早朝散策して天狗岩の下に至る。巨巌屹立して空にそびえ、数十丈の絶壁をなす。その雄大なる風光は人をして壮快を覚えしむ。

紅葉の天狗岩


 この前後、奇勝多し。更に行くこと数丁にして塩釜の温泉あれども各舎なし。つぎに、郵便局の庭内に高雄塚あり。高雄は吉原の名妓にして、この地に生まれしという。山本北山翁の碑文を刻せり。 これより更に数丁を隔てて畑下温泉あり。清琴楼の外に4戸各舎を有す。これよりまた更に数丁にして門前に至る。各舎宮田屋あり、寺院妙雲寺あり、 街路わずかに一橋を隔てて古町あり、やや市街の形をなす。これ塩原の中央に当たる。海抜1,420尺なりという。各舎は8戸あり。そのうち最も清雅なるは楓川楼なり。その構造のやや大なるものは米屋なり。しかして設備及び風致に至りては福渡の各舎に及ばず。

 17日、晴れ。福渡より18丁離れたる所に塩泉あり、これを塩の湯と称す。塩釜より渓橋を渡り、小渓をさかのぼること10丁にしてこれに達すべし。旅館は明賀屋を第一とし、これに次ぐものは玉屋、柏屋なり。この日、明賀屋を訪うて入浴す。 浴場は渓流の岸頭にあり、客楼より梯階を下ること数十段にしてこれに達す。浴場にて渓流を対観するところ、積翠まさに滴らんとし、幽邃実に掬すべくして最も風致あり。実に桃花流水別天地の趣を浮かぶ。

鹿股川の渓流


 「玉屋旅館」は廃業して、現在は塩釜温泉「ホテル塩原ガーデン」として営業している。「桃花流水別天地」は李白の七言絶句「山中問答」による。

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