与謝野晶子の歌碑
与謝野晶子の歌
『白桜集』
真菰伏すかぜにまじりてはしきやし香取の宮の大神はある
かきつばた香取の神の津の宮の宿屋に上る板の仮橋
あら磯の犬吠岬のしぶきをば肩より浴びてぬれしかたびら
湯あみしてやがて出じとわが思ふ会津の庄のひがし山かな
半身を湯より出して見まもりぬ白沫たてる山あひの川
自らを清しとすれど猶あかず会津の山の湯を愛でて浴ぶ
飯坂のはりがね橋にしづくしる吾妻の山の水いろの風
吾妻山うすく煙りて水色す摺上川の白きあなたに
わが浸る寒水石の湯槽にも月のさし入る飯阪の里
『青海波』
馬車はやく舞鶴橋の下くぐり青き世界に歩み入りにき
岩はしる流つたへば自らが繍をおきつつ行くここちする
『火の鳥』
本栖湖をかこめる山は静かにて烏帽子が岳に富士おろし吹く
いと深き水がとどむる影のごと静かなるかな本栖の山は
本栖の湖地にしたたりし大空の藍の匂ひのかんばしきかな
本栖村清水に代へて湖を汲むと云ふなり三十戸ほど
山山を船夫指させど身に沁むは精進の浜のくらき焼石
ほととぎす樹海の波につつまれてうらやはらかく鳴ける黄昏
湖の一ところをば赤くして精進の村に灯のつきにけり
精進村ともし灯つきぬ鶯にうみて夜に入ることを急ぐや
川口の湖上の雨に傘させば息づまりきぬ恋のごとくに
大地をば愛するものの悲しみを嘲める九月朔日の天
休みなく地震して秋の月明にあはれ燃ゆるか東京の街
きはだちて真白きことの哀れなりわが学院の焼跡の灰
焼けはてし彼処此処にも立ちまさり心悲しき学院の跡
十余年わが書きためし草稿の跡あるべしや学院の灰
『瑠璃光』
観音の千手のやうにことごとくひとしき丈の赤倉の杉
赤倉の山少女ども淡いろの雲の中にて盆の蕎麦打つ
杉と云ふ山の木もまた明星も香岳楼の客におもねる
草中に白樺立つや上林雲が残せるみなし児の如
星川の流乾くと蝉鳴けば雨の降りくる上林かな
地獄谷濁れる水の源とすなり己を人うたがはず
地獄谷白き火の立ち燃えんとす生きて唯今見るはこれのみ
地獄谷湯のみなぎりて湧く時に澄む水をもて上なしとせず
那古寺の建立を待つもののごと十三人が鳩とたはぶる
凡骨と云ふ人の撞く普陀洛の鐘と知らざる那古の浦人
那古寺の普請の瓦まゐらせず海に比べて醜きがため
唯聴かず鏡が浦を行く船にものも云ふべき潮音の台
那古寺の湖音台に題すらくここより海へここより天へ
『草の夢』
妙高の山のむらさき草に沁みたそがれ方となりにけるかな
赤倉の山より出づる雲ゆゑにおぼろげなりや北海の門
落日が枕にしたる横雲のなまめかしけれ直江津の海
都をば忘れんとする人もまた小比叡の山の名を撰びけり
蓮華峯寺龍女の美にも似る堂のひさしに描けり大井の川を
宇治殿の鳳凰堂の簀子にてながむる山を霧流れ行く
極楽の雲とむかしもおもひけん鳳凰堂の朱のうつる池
大湯村米代川の白き瀬に馬のあそべる秋のゆふぐれ
桂月の御墓の立ちし蔦の山奥入瀬川もあまぐもの奥
桂月のいます世ならで今日逢へる蔦の温泉の分れ道かな
秋風の奥なる山をしめやかに濡らして過ぐるおいらせの川
深山木を天に次ぎたる空として重くうつせる奥入瀬の水
『心の遠景』
あさ六時雪滑り木を肩にする男女と入りし越の雪滑り
橇かよひ子等雪滑りしありける雪滑りの湯の一筋の道
わが車能登の七尾の雨に立てしばらく思ふアムステルダム
家家に珊瑚の色の格子立つ能登の七尾のみそぎ川かな
實盛が染めたる髪を亡きあとに洗はれし池うすらひぞする
青雲と白雲の來て舞ふ谷のこほろぎ橋と思ひけるかな
いにしへの法皇の夢なほここに御寺となりて殘る山かな
那谷寺の石を撫でつつなほこれに通へる身とは思はれぬかな
護摩堂のみやびやかなり護摩法に歌をば代へて仕へまつらん
山中の湯場の露路よりいにしへの山路につづき水早く行く
いとかたく指すところをば守る波東尋坊に重なりて寄る
永平寺法のみやこの石橋をくぐれる水のうつくしきかな
山法師追ひ給はねど日の入りてひと時のちの永平寺出づ
その昔伊東の族(そう)になびきたる草木も枯れて黄なる一月
平家には申さぬ壻を逐ひしのちならひがちともなりぬる伊東
梅の山しろし日月星辰の次のものとはなさぬなりわれ
「深林の香」
沙丘をば支へんことを思ひ立ち苦菜濱ごう二寸の芽吹く
砂丘踏みさびしき夢に與かれるわれと思ひて涙流るる
ここに來し友先づあらず然るのちその兄弟(はらから)の見してふ砂丘
おほなむち慰めまつる御神楽もかしこかりける大出雲振り
八百よろづ大國ぬしのおん許へつどはん神の草まくら殿
神巫(かんなぎ)の祓ひつくすに惜しきこと社出でなばこころに歸れ
船一つ松江大橋くぐるなり潮押されて痩せたるやうに
みづうみは夜と定まれる刻になほ銀紅色の殘るものかな
みづうみを消しはてんとは思はねど假に埋むる初夏の雨
小泉氏八雲の住みしむかしにもまさり茂らず北庭の蓮
うら安し出雲にハァン先生の求めしものをこれぞと知れば
吉晴が地を相したる城ながら八雲立つらん杵築の見えず
別當の法師に逢はず深大寺おち葉の音を字嶋田屋に聞く
落葉して御堂の池の濁れども噴井(ふきゐ)めでたし門前の茶屋
深大寺時雨れ初めけり釜出でし芋がしらより湯の霧の立ち
釋迦牟尼の堂に上(のぼ)りて一人聞く十一月の水の鳴るおと
「落葉に坐す」
なつかしき函館に來て手に撫づる亡き啄木の草稿の塵
啄木の草稿岡田先生のかほもわすれじはこだてのこと
文久のまつの竝木と濠川と五稜の郭のいしがきのはな
悲しくも王師と見ゆ五稜郭おろしやの船にそなへたれども
安からず思ふすがたに波立ちて五稜の郭をめぐる濠かな
大沼の絹のおもてに淺みどり五月の木木の刺繍(ぬひとり)ぞする
二本(ふたもと)のポプラの中にみなと見ゆ北の小樽の宿に覺むれば
ひとすぢの一萬二千幾尺の防波堤をば越ゆるしらなみ
光りつつ駒が嶽をばつつむなり若き五月のたくましき雲
ちかづきぬ定山渓に入るみちと豐平川の遠く來るおと
五月なほつばめかへらぬ石狩の温泉(いでゆ)のまちに山鴉啼く
大雪の山は見ねども先づしろし神居古潭のえぞ櫻ども
まだ知らぬちからも見せて山深き神居古潭を濁流の行く
流星が瀧の身となるいしかりの層雲峡のうらさむきかな
鹽谷の湯お花畑のすそにして朝日が嶽を雲ゆききする
おもしろき熊のはなしす鹽谷の湯山五千尺高きしるしに
うぐひすや第三階に大湯置く層雲峡のをんせんのやど
いしかりの流星、銀河、岩山の襞をつたひてとどろく五月
木草無き地獄の山は紫陽花の終りのころの色したるかな
地獄谷業の煙となしがたし戀のこころもつぶやくものを
室蘭を立ちて來ぬればなほ潮のしぶきと思ふ洞爺の雨も
水神の植半ほどの棧橋す蝦夷の洞爺のみづうみのきし
山畑にしら雲ほどのかげろふの立ちて洞爺の梅さくら咲く
名木の三樹のなかのさくら散り向洞爺うぐひすぞ啼く
かずしらぬ虹となりても掛かるなり羊蹄山の六月の雪
六月に雪のこりたる羊蹄の水いろの襞うつくしきかな
ましろくて透(すきとほ)りたるここちする修道院のきみとすず蘭
啄木の眠るところの北海のたちまち崎の波のおとなひ
いにしへは啄木の泣き末の世にわれの涙の沁む岬かな
海越えて南部の山の見ゆるこそ哀れなりけれ啄木の塚
はまなすの岬に咲かん日も思ふれ啄木の碑のかたはらにして
啄木よ岬の菊の根を得たり生きたるものは花も咲かまし
鈴蘭も友もホテルにとどめおき函館港を出づる朝かな
海峡のわがある船へたちまちの崎より送る風あるごとし
海峡の船にまたあり五月より六月となり歸り路となり
船に醉ひ白き毛布を被(かづ)くにも昨日の戀しトラピスチイヌ
釜淵の瀧大和繪の山のごとまろくふくらみ重なれるかな
深山なるかじかに通ふ聲もして岩にひろがる釜淵の瀧
「北海遊草」
わが路と中禪寺湖の分れ目に龍頭の瀧の走りつつ鳴る
二荒山雲をはなたず日も零れあめもこぼるる戦場が原
二荒山雲より出でず落葉松は草より出づれ戦場がはら
木とならじ戦場原の落葉松の一もとのごと立ち枯るる憂し
みづうみの中宮祠なるさくら散り戦場が原青き日の雨
人間の世に重なれる國ありて落ち來る如し大きなる瀧
湯の湖に硫黄の氣立つうらさびし緑とぼしき蘆原の前
中宮祠木の間の朱さへ雲にある日かとおどろく山暗くして
中禪寺立木佛の千の手のゆびざすところことごとく霧
とほき世に勝道法師やまの木を佛身に變へ大悲閣成る
「冬柏亭集」
添ひて立つ柳の幹に勝らぬや温湯の川の木の吊ばしは
岩の群おごれど阻む力なし矢を射つつ行く若き利根川
吊橋と舞へるつばめをなかにして兩つの岸に李(すもも)花咲く
水上の諏訪のやしろの杉むらの中のさくらの白き初夏
高半の奥の二階のすみの間に雪の山見て越の夜となる
夜の膳のあけびの若き蔓噛めば霧の香ひす越の湯の宿
行けどなほ箱根そむけり草はらにはだら雪する十國峠
草の葉に雪ののこるも青ぞらもゆゑあるごとき十國峠
すずしけれ津山の城の廓より見る王朝の久米の佐良山
山國の津山のしろの石垣に見出づることよはつ秋の白
岡山の城下へ到る二十里のみちの端見ゆ川のほとりに
「山のしづく」
おふけなくトロ押しすすむ奥山の黒部の溪の錦繍の關
岩のもと黒部の川の渦巻けり源氏ぐるまの鹿の子のやうに
黄昏に總曲輪(おうがは)町もしづかなり深雪降る日の夢をみるごと
立山の神代のゆきのまへに煉る反魂丹の香ばしきかな
月さしぬ城の郭内外(うちと)をばいみじき雪の溪に變へつつ
内濠(うちぼり)の蓮枯るる時立山の雪かがやくと見知るまちかな
高岡の櫻の馬場のもみぢ葉の中行く人となりにけるかな
高岡の古城にのぼり連山のあきのゆき見る友の法師と
館などさもあらばあれうみ越えて羅津に對て本丸の松
瀧つ瀬に怖ぢず弓弦を鳴らすなり遠州穿つ石の樋の水
秋の葉のあてにかすかに散りかへり石川城の禮習ふや
池しぐる細き琴柱(ことぢ)の燈籠の脚になよりそさびしき波は
大池の唐崎の松常磐にて加賀のしぐくはつかのまに過ぐ
松おほき安宅の沙丘(しやきう)そのなかにきよきは文治三年の關
住吉の神をかしこみしりぞきて富樫の据ゑし新關のあと
しらぎぬを重ねて波の寄る安宅新關守に怪しまれんぞ
義經記の作者も聞きしここちするよき北海の波の音かな
松かへで都のあらし山のごとまじる武生のみぞの兩側(ふたかは)
毛欅(ぶな)おほき山のみどりの襞に入り逢ふ鹽原の第一の瀧
龍化瀧二十五丈を若葉する毛欅のかこめりうへは岩山
ことごとく毛欅の若葉の蔭にしえなほ金色に光る溪かな
中段は龍頭をなせり山の瀧上に懸くるはしろがねの琴
眞夜中の鹽原山の冷たさを假りにわが知る洞門のみち
紅葉の清琴樓の殘れるは五月ざくらに似てあはれなり
古町はふもとのごとく山低し川霧のいろ哀れなれども
古町の湯場福渡のあひだにも李花を凌げり山路のさくら
川なみがあらふ岩よりたかければ霧の拭へり覺圓峰
夜は二夜日は甲斐に三日酒折に今來て仰ぐいにしへの山
いにしへのさしでの磯を破らじと笛吹川の身を曲ぐるかな
鹽の山さし出の磯に立つ波もほどなき川の低き橋行く
うすいろの牡丹めきたり鯛むれて安房の御法の海に遊べば
いとおほく人を人とも疑はで鯛の寄りくる日蓮の安房
平野氏(うぢ)仁右衛門の家その外はもち、もゆこくと松の木の島
實りたる草の金銀刺(ほり)茄子を海人の誇れる仁右衛門の島
波しろし那古船形の御堂をば牙あるものの護る海とも
朱なれども海にひかれて光るなり那古の御堂は金鱗のごと
二婦人が車中の作を書ける見て更科日記を思ふ國かな
「いぬあじさゐ」
俳諧寺文人たちの落がきを見ぬやうに坐す一茶の像は
棧橋のうへ五寸ほど八月の水の超えたる山のみづうみ
黒姫を野尻の湖の水(み)づきたる柳に置きてあそべる裸體(はだか)
ゆくりなく塵表閣のひろ間にて先生と飲む信濃の番茶
浴堂の三方廊二もとの合歓花(ねむ)が包みて餘りあるかな
「山上の気」
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