この地は徳川光圀の弟、徳川頼元が万治2年(1659年)屋敷とした。その子頼貞は元禄13年(1700年)常陸の国(茨城・行方)陸奥(守山)3郡2万石をうけ守山藩主として大学の頭を名のった。邸内敷地6万2千坪という。 氷川下の低地にある池は当時吹上邸として有名な占春園の名残りである。ホトトギスの名所であったという。 明治36年東京高等師範学校がお茶の水(現医科歯科大学の所在地)よりこの地に移転してきた。 明治59年区民の念願により旧教育大跡地のうち、約2.9ヘクタールの払い下げをうけ、区民の憩いの場・防災広場・スポーツセンターとして活用するため、妬心の緑の地として設計した。 そしてこの由緒ある地を『教育の森公園』と命名した。
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