明治・大正期、荒川(現隅田川)沿いにはいくつもの煉瓦工場があった。土が煉瓦の製造に適していたことと、船運が期待されてのことである。 旭電化跡地(東尾久7丁目)付近にあった戸田・山本煉瓦工場、華蔵院(東尾久8丁目)付近にあった鈴木煉瓦工場などである。なかでも古いのが、明治5年に石神仲衛門氏が設立した煉瓦工場だという。後の広岡煉瓦工場である。 その跡地にできた「あらかわ遊園」は、大正11年に開園した都内でも古い民営遊園地で、大小の滝・築山・池・観月橋・総檜展望台などを備え、たいへんな賑わいをみせた。太平洋戦争中は高射砲の陣地となり一時閉鎖されたが、昭和25年、区立荒川遊園として生まれ変わった。
荒川区教育委員会 |
平成25年(2013年)9月11日、「孤独のグルメ」Season3(第10話)「荒川区西尾久の炎の酒鍋と麦とろ飯」で「笑う少女」の像が映っていた。 |
平成3年(1991年)3月、東京荒川西ライオンズクラブ寄贈。北村西望制作。 |