昭和55年(1980年)、高田博厚は東松山市中央公民館(現:松山市民活動センターで高田博厚彫刻展・講演会を開催。 昭和61年(1986年)、高坂駅西口に高田博厚の彫刻を2体設置。 |
昭和56年(1981年)、制作。 昭和61年(1986年)、設置。 |
昭和53年(1978年)、制作。 昭和61年(1986年)、設置。 |
昭和44年(1969年)、制作。 昭和62年(1987年)、設置。 |
ことばの「身振り」によってではない。内面の思念が要約凝集されて、もっとも簡潔に一元化して「存在」している。これが真の「形」なのだ。彫刻とはそれ以外のなにものでもない。
――作者―― |
彼はモンテーニュやゲーテの直系子孫なのである。 「哲学とはもっとも深い意味において自分を見出すことである。人間の連續を。」
――作者―― |
昭和62年(1987年)6月17日、高田博厚は死去。享年86歳。 昭和62年(1987年)に14体、平成元年(1989年)に11体、平成6年(1994年)に5体の高田博厚の彫刻を設置し、現在の高坂彫刻プロムナードの形になった。 |