2024年埼 玉

3体の裸婦像〜高坂彫刻プロムナード〜
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東武東上線朝霞台駅


東武東上線高坂駅下車。

 昭和55年(1980年)、高田博厚は東松山市中央公民館(現:松山市民活動センターで高田博厚彫刻展・講演会を開催。

 昭和61年(1986年)、高坂駅西口に高田博厚の彫刻を2体設置。

高坂駅西口に3体の裸婦像があった。

遠 望


昭和56年(1981年)、制作。

昭和61年(1986年)、設置。

左から
   
右から

   


後ろから


大 地


昭和53年(1978年)、制作。

昭和61年(1986年)、設置。

前から


後ろから


水 浴
La Baigneuse


昭和44年(1969年)、制作。

昭和62年(1987年)、設置。

ことばの「身振り」によってではない。内面の思念が要約凝集されて、もっとも簡潔に一元化して「存在」している。これが真の「形」なのだ。彫刻とはそれ以外のなにものでもない。

――作者――

左側面
   
右側面

   


アラン


彼はモンテーニュやゲーテの直系子孫なのである。

「哲学とはもっとも深い意味において自分を見出すことである。人間の連續を。」

――作者――

やや左から
   
やや右から

   


知らなかった。

 昭和62年(1987年)6月17日、高田博厚は死去。享年86歳。

 昭和62年(1987年)に14体、平成元年(1989年)に11体、平成6年(1994年)に5体の高田博厚の彫刻を設置し、現在の高坂彫刻プロムナードの形になった。

「海 La Mer」の像へ。

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