為家卿
秋風に吹きくる峰乃むら雨にさしてやどかる和田の笠松 わだのかさまつ |
和田の笠松は往時須佐の入江の浜に聳え、入港船の目標となり、東西往環の目印の松ともなっていた。鎌倉時代初期の歌人、藤原為家の歌に「秋風の吹き来る峯の村雨に、さして宿かる和田の笠松」と歌われており、古くから有名な松だった。延賓8年(1680年)の「福原びんかがみ」には、絵入りで紹介、元禄4年(1691年)の絵図にも真光寺のそばに松の絵が入っている。元文元年(1736年)の海道名所図には立派な松が描かれており、寛政10年(1798年)の摂津名所絵図には絵入りで、「古松は枯れて植え継ぎなり」とある。 明治20年頃まではこの松の下に稲荷があったが、のち、住吉神社の境内に移った。笠松も次々と植え継がれていたが、おしくも戦災により焼失し無くなってしまった。 左側の「和田の笠松・笠松の歌碑」は神戸史談会が発会70周年記念事業の一つとして、昭和50年11月9日、小河公園内に建立したものである。今回「兵庫津の道」に面したこの地に移設した。 |