文学碑
小川未明の文学碑
野ばら
野ばら ここは都から遠い国境であります。そこには両方の国から、ただ一ずつの兵隊が派遣されて国境を定めた石碑を守っていました。大きな国の兵士は老人でありました。そうして、小さな国の兵士は青年でありました。 ちょうど、国境のところには、だれが植えたということもなく、一株の野ばらがしげっていました。その花には、朝早くからみつばちが飛んできて集まっていました。その快い羽音が、まだ二人の眠っているうちから、夢心地に耳に聞きこえました。 |
1882年4月7日、新潟県中頸城郡高城村(現高田市幸町に生まれる。本名健作。 1988年、岡島小学校(現大手町小学校)に入学。 1895年、高田中学校(現高田高校)に入学。 1897年、一家は春日山に移る。 1901年、東京専門学校(現早稲田大学)に進学。 1904年、このころより小説を書きはじめ、新進作家としてみとめられる。 1906年、早稲田文學社に入り、「少年文庫」を編集。童話、童謡を書きはじめる。 1910年、日本最初の創作童話集といわれる「赤い船」を出版する。 1926年、童話に専念することを決意し声明する。生涯に書いた作品は約1300編に及ぶ。 1953年、芸術院会員、文化功労者となる。 1961年5月11日、逝去。東京都下下小平霊園に眠る。 原作「野薔薇」は、1920年4月1日作。同年4月12日の「大正日日新聞」に掲載され、1922年9月発行の童話集「小さな草と太陽」に収録された。 |