養老2年(718年)、僧行基は夢の中に右手に葡萄を持った薬師如来が現れたそうだ。行基が夢の中に現れた薬師如来像を刻んで安置したのが柏尾山大善寺という。 |
かし尾といへる山寺に一宿し侍りければ、かの住持のいはく、後の世のため一首を残し侍るべきよし頻りに申し侍りければ、立ちながら口にまかせて申し遣しける。かし尾と俗語に申し習し侍れども、柏尾山にて侍るとなむ。 蔭頼む岩もと柏おのづから一よかりねに手折りてそしく |
蛤のいけるかひあれ年の暮 一書に云、山家集に 今ぞしる二見の浦の蛤を かひあわせとておほふ也けり 愚考、すまの巻の心はへを取ての句なり。海士どもあさりして、貝一物もてまゐれるをめしいでゝ御覧ず。浦にとしふるさまなど問はせ給ふ。さまざまやすげなき身の上を申す。そこはかとなくさへづるも心の行衛は同じこと、何か異なると哀に見給ひ、御衣どもかづけさせ給ふを、いけるかひありと思ヘり。
『芭蕉翁句解参考』(月院社何丸) |
この碑は、宝暦12年(1762年)10月に藤井村の草々庵梅童(1701〜1781)が父梅馬の遺志を継ぎ建立したもので、合わせて『俳諧甲斐塚集』が撰集され、「霜を出て霜より白し塚の月」の梅童の建立句が伝えられている。梅馬(〜1757)は名を渡辺武右衛門といい、守墨庵柳居や弟子の門瑟と親交があり、蕉門の柳居の流れを甲斐に伝えた先駆者。 また、この碑は県内に数多くある芭蕉句碑の中で最も古いものである。
勝沼町教育委員会 |
宝暦7年(1757年)、梅馬は佯死して梅童と改めた。『冨士井の水』(三城編)刊。 |
入相の側まて逃て暑かな |
平成17年(2005年)11月1日、勝沼町は塩山市および大和村と合併して甲州市となった。 |