2012年山 口

徳應寺〜菊舎の墓と句碑〜
indexにもどる

下関市長府金屋町の旧山陽道に徳應寺(HP)という寺がある。


徳應寺に女流俳人一字庵菊舎の墓と句碑がある。

徳應寺山門


徳應精舎

浄土真宗本願寺派の寺である。

徳應寺本堂


本堂の手前右手に「文塚」があった。


雲となる花の父母なり春の雨

文政5年(1822年)、菊舎が両親からもらった手紙を埋めて建立。

本堂左手の墓域に菊舎の墓があった。


一字庵菊舎尼墓

右側面に辞世の句が刻まれている。

無量寿の寶の山や錦時

右に彰徳碑があった。

一字庵菊舎は女流俳家なり。本姓名を田上道と呼ぶ。寶暦3年10月14日、長門國田耕村に生る。父は長府藩士田上由永、母は豊田氏。由永は後改めて本荘了左と稱す。

菊舎16歳にして郷里の著姓村田利之助に嫁し、24歳、寡婦と爲りて生家に復しぬ。28歳、薙髪して奥羽東海の行脚に出で、途次美濃派の宗匠朝暮園傘狂の門を敲く。終生斯道に精進して遂に一家を成し、傍ら詩歌・書畫・琴曲・茶儀の諸藝にも通曉せり。深く藩主梅門公の眷遇を蒙る。足跡殆と海内に印し、李紫溟・村井琴山・亀井南冥・小田海僊・小石元瑞・宗哲・費晴湖等の名流と交游す。斯くて蘿月松風塵外に倡佯(※「倡」=「彳+尚」・「佯」=[彳+羊]して婦節を全うし、文政9年8月23日長府に寂す。享壽70有4。徳應寺の塋域に葬る。文化9年出版の手折菊4巻は其主著なり。

大正14年秋百回忌に値り、其他の遺文をも追加して一字庵菊舎尼遺稿と曰ふ。

昭和2年5月    五世後裔 本荘熊次郎撰

2012年山 口〜に戻る