2012年山 口

女流俳人菊舎尼宅址」〜旧山陽道〜
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 下関市長府印内町の旧山陽道に「女流俳人菊舎尼宅址」の石碑と案内掲示があった。


女流俳人菊舎尼宅址


菊舎旧宅跡(印内町)

 田上菊舎は、加賀の千代女と並び称される江戸期の代表的な女流俳人である。

 本名を道といい、宝暦3年(1753年)10日、長府藩士田上由永の長女として豊浦郡田耕村(現豊北町)に生れ、16歳で村田家へ嫁いだが24歳にして夫を失う。

 のち、安永9年(1781年)28歳のとき、尼となって俳道修行の旅へ出発、以後は、ひたすら句作風雅の旅に過す。その足跡は遠く北陸にまで及び、彼女の句として広く知られる「山門を出ずれば日本ぞ茶摘み唄」も、寛政2年(1790年)に宇治万福寺を訪ねた折の作である。

 菊舎は当時の文人墨客との交流も多く、『手折菊』『都の玉ぎぬ』などの著書も残している。ことに、文人殿様として知られる長府藩主十一代の毛利元義公から、その才知を愛され、恵まれた晩年を送るが、文政9年(1826年)8月23日、この地において74歳の生涯を閉じた。

 現在長府の地には、功山寺徳応寺(金屋町)の境内に句碑が建てられ、墓が徳応寺と本覚寺(中の町)の二か所にある。

「宝暦3年(1753年)10日」というのは、変だ。「10月」の誤りであろう。

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