この藤白王子社(現藤白神社)は平安時代から盛んに行われた熊野詣での礼拝所で、熊野九十九王子のうち五躰王子の一として特に格式の高かった神社である。
中世の熊野御幸の際には当社を御宿泊所とせられ、御歌会、相撲会等が催された。
特に藤原定家の「熊野御幸記」に記載されている建仁元年(1201年)に後鳥羽上皇が催された藤皇子和謌会が有名で、そのときの「熊野懐紙」御宸翰は国宝となっている。
深山紅葉
うばたまのよるのにしきをたつたひめ
たれみやまぎと一人そめけむ
白藤の下に歌碑があり、傍らに「御歌塚」がある。
また、神社の「本殿」「藤白の獅子舞」「本堂の熊野三所権現本地仏三躯「藤白王子」の本地仏も和歌山県指定の文化財である。
和歌山県教育委員会
海南市教育委員会
藤 白 神 社