2021年東 京

小泉八雲記念公園〜小泉八雲胸像〜

都営大江戸線東新宿駅下車。

新宿区大久保に大久保小学校がある。

大久保小学校の正門横「小泉八雲舊居跡」の碑があった。


小泉八雲終焉の地

小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)は嘉永3年(1850年)ギリシアのレフカダ島に生れた。明治23年アメリカの新聞記者として来日、その後記者をやめ、小泉セツと結婚。松江熊本で教鞭をとった。

明治29年日本に帰化し、以来、東京帝国大学、早稲田大学で英文学を講じながら「怪談」等幾多の英文による名作を執筆した。

明治35年市谷冨久町からこの地大久保に居を移した。

明治37年(1904年)9月26日、妻子の身を案じ、自分の仕事を気にしながら「ああ、病気のため・・・・」の悲愴な一語を残し、帰らぬ人となった。時に54歳であった。

伝統的な日本文化を広く欧米に紹介した彼の功労に対し、大正4年日本政府は従四位を追贈した。我が国の自然と文化をこよなく愛し、その真の姿を伝えた功績は偉大であり、高く評価されている。

小泉八雲舊居


大久保小学校の西側に小泉八雲記念公園がある。

小泉八雲記念公園

 明治時代の文人小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)はギリシャ・レフカダ町に生まれ、現在の新宿区大久保1−1でこの世を去りました。新宿区とレフカダ町は、この縁(えにし)をもとに相互に交流を重ね、理解と友情を深めるため、平成元年10月友好都市となりました。

 新宿区は、この度、小泉八雲が没したこの地に小泉八雲記念公園をつくりました。この公園の設計に当たっては、コンスタンティノス・ヴァシス駐日ギリシャ大使並びにスピロス・マルゲリス・レフカダ町長から詳細な助言をいただき、ギリシャ風の公園として整備しました。

 ギリシャの雰囲気を出すため、古代の柱や集会場(アゴラ)をイメージした広場、中世風の建物、近代のイメージとしての白い壁などを設けました。

 この公園が、日本を世界に紹介した小泉八雲を偲ぶ場所となり今後、新宿区とレフカダ町の友好がより一層深まることを願います。

小泉八雲胸像


1993年4月、駐日ギリシャ大使コンスタンティノス・ヴァシス寄贈。

小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)
嘉永3年(1850)〜明治37年(1904)

 ギリシャのレフカダに生まれた小泉八雲は、明治23年(1890年)に来日し、明治29年(1896年)から亡くなるまで、新宿で暮らしました。

 八雲は失われつつあった、古き良き時代の日本の風俗を広く世界に紹介しました。

 「知られぬ日本の面影」から始まる八雲の日本への研究は、「骨董」「怪談」、そして、日本研究の集大成ともいえる「日本−一つの解釈−』まで多くの著書として発表されました。自らの体験に基づいて書かれている八雲の作品には、現在でも高い評価が寄せられています。

 また、八雲は教育者としても多くの人々に影響を与えました。東京帝国大学(現・東京大学)文科大学や早稲田大学では、後に文芸界で活躍する多くの人々がその教えを受けています。

 このように、この新宿の地で晩年を過ごした小泉八雲は、近代日本に多大な影響を与え、今なお多くの人々に愛されています。

東京都新宿区

手入れの行き届いた公園だが、人は少なかった。

JR山手線新大久保駅に向かうと、人の多さに驚いた。

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