夏目漱石ゆかりの地
雑司ヶ谷霊園
本教寺から雑司ヶ谷霊園に立ち寄ってみた。
夏目漱石の墓は大きいので、すぐ分かる。
文献院古道漱石居士
圓明院清操浄鏡大姉
雑司ヶ谷は「K」の墓がある所である。
私は墓地の手前にある苗畠の左側からはいって、両方に楓を植え付けた広い道を奥の方へ進んで行った。するとその端(はず)れに見える茶店の中から先生らしい人がふいと出て来た。私はその人の眼鏡の縁が日に光るまで近く寄って行った。そうして出し抜けに「先生」と大きな声を掛けた。先生は突然立ち留まって私の顔を見た。
「どうして……、どうして……」
先生は同じ言葉を二遍繰り返した。その言葉は森閑とした昼の中に異様な調子をもって繰り返された。私は急に何とも応えられなくなった。
後日、あらためて雑司ヶ谷霊園を訪れた。
窪田家の墓があった。
空穂 窪田通治 昭和四十二年四月十二日没 九十一歳
明治45年(1912年)、窪田空穂は竹早町(現・小石川5丁目)に46年間住み、昭和42年4月12日没した。
小栗家累代之墓もあった。
小栗上野介
明治元年四月六日卒 行年四十二歳
慶応4年(1868年)3月1日、小栗上野介は権田東善寺に隠棲、閏4月6日水沼村烏川原にて斬首。時に42歳であった。
大正11年(1922年)9月17日、永井荷風は雑司ヶ谷霊園に小泉八雲の墓参。
午後雜司ケ谷墓地を歩み小泉八雲の墓を掃ふ。塋域に椎の老樹在りて墓碑を蔽ふ。碑には右に正覺院殿浄華八雲居士。左に明治三十七年九月二十六日寂。正面には小泉八雲墓と刻す。
雑司ヶ谷霊園には竹久夢二の墓碑もあるそうだ。
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