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元暦元年(1184年)、木曽義仲追討のため源頼朝は弟の範頼・義経を大将6万の軍勢を鎌倉から京都に向わせました。 この軍勢には頼朝の重臣である梶原源太景季が加わっていました。源太景季は日頃から頼朝の持っている「生食(いけづき)」という名馬をほしいと思っており、出発のときこれを願い出ましたが、許されず替わりに2番目の「磨墨(するすみ)」という名馬を拝領しました。ところが、頼朝はこの後に出発のあいさつにきた佐々木四郎高綱に「生食」を与えてしまったのです。 そのことをこの地で知った源太景季は、頼朝の信頼が四郎高綱より薄いと感じ、ここで四郎高綱と差し違えて死のうと待ち構えました。この気配を知った四郎高綱は機転をきかせ、「この生食は、拝領したものでなく、盗んできたのだ。」と言って、その場をおさめたといわれます。 以来、この地は名馬「生食」と「磨墨」の馬くらべをした地として現在に知られています。
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