2009年静 岡

弁天島〜吉田松陰〜
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まどが浜海遊公園から弁天島へ。


弁天島に窪田空穂の歌碑があった。


心燃ゆるものありて踏む夕波の寄り来て白き柿崎の浜

窪田空穂 歌碑

 窪田空穂は近代日本を代表する歌人、国文学者です。

 歌風は客観性を重んじ、生活実感を歌い上げ抒情性に富む。

 早稲田大学名誉教授

 大正9年秋ここ柿崎弁天島を訪れ、吉田松陰先生の踏海の壮図を偲び詠む

 心燃ゆるものありて踏む夕波の
      寄り来て白き柿崎の浜

 昭和47年9月

 窪田空穂歌碑建立発起人会
      代表 賀茂短歌会

管理 柿崎松陰会



吉田松蔭・金子重輔先生踏海企ての跡

 憂国の志士吉田松蔭は、弟子金子重輔と共に柿崎弁天島の祠に身を隠し、夜になってここ弁天島の浜辺より小舟を漕ぎだした。尊皇攘夷の嵐の中で海外の事情を探るべく渡航を達せんものと必死になって荒波とたたかい、米艦ポーハタン号に向かいつつある緊迫の場面である。雄図空しく挫折したが、その国を思う気迫と清新は見る者に共感を呼び起こさないではおかない。時に嘉永7年3月27日の夜(西暦1854年4月24日)であった。

 吉田松蔭先生下田平滑獄中の記

世の人はよしあし事もいはばいへ賤が誠は神ぞ知るらん

踏海130年記念

下田市柿崎行政区

 下田市立中央公民館・下田市教育委員会館に「市指定史跡吉田松陰拘禁の跡」がある。

吉田松陰・金子重輔像


 昭和11年(1936年)4月23日、種田山頭火は弁天島を訪れた。

   四月二十三日 曇、うすら寒い。

朝早く、二人で散歩する、風が落ちて波音が耳につく、前はすぐ海だ。
牡丹の花ざかり、楓の若葉が赤い。
蛙が鳴く、頬白が囀る。
辨天島は特異な存在である、吉田松蔭(ママ)の故事はなつかしい。


山頭火は下田港へ。

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