2024年埼 玉
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出征兵士之像〜埼玉県護國神社〜

東武鉄道野田線(アーバンパークライン)北大宮駅下車。

さいたま市大宮区高鼻町3丁目に埼玉県護國神社がある。


鳥羽・伏見の戦い以後の国事に殉じた埼玉県関係の戦没者51,180柱を祀る。

傷痍軍人の塔


昭和53年(1978年)10月19日、建立。

塔建立の詞

 我等は戦火に傷つき、或いは戦野に病を得て生死の境を彷徨した者達である。その思い出は耐え難いものがあり、戦争の残酷さは筆舌につくしがたい。

 戦後、閲すること三十年。昭和五十年七月議を起し、戦禍の洗礼を受けた立場から、二度と犠牲者を出す間敷き事を語り合った。而して、平和を希求する会員の微意を表明せんと名を印し、此の埼玉県傷痍軍人の塔を建立する決議をした。

 良く議し想を練り、会員一人一人の善意を結集して、今完成に至った。唯、同慶の一語につきる。

 尚、惟みるに吾が埼玉県傷痍軍人の夫妻が財團法人日本傷痍軍人会、同妻の会の旗下にあってそれぞれの綱領具現に、その責を果し、両会の中核県たる名聲を保持する努力をはじめ、或いは郷にあって、傷痍にめげず率先垂範、豊かなる人間愛と限りない創造性を以って変轉極りない新時代に処し、地域社会に光明を齋しつつ、今日に至った証としても、 意義あるものと思考する。

 又この庭が、隣人を愛する思想を高揚し廣く、世界は一家の大理想実現に裨益する聖場と成ることも願いつつ、時の流れに禍いされることなく、吾等の誠魂が不滅であることを信じ、塔建立の詞とする。

埼玉県特攻勇士之像


平成25年(2013年)10月、建立。

慰霊碑像デザイン 塚本 哲

埼玉県特攻勇士顕彰碑

 あの苛烈を極めた大東亜戦争の末期、多くの埼玉県出身の若者たちが特攻隊員となり家族・故郷・祖国を守るため、烈々たる祖国愛に燃え敢然として散華されました。生還を期せず、若い命を進んで国に捧げられたこれら特攻隊員の崇高な精神が永く県民の心に刻まれるとともに次代を担う若門精神の糧となることを願うものであります。

 ここに散華された英霊の勇姿を末永く後世に伝えるため、公益財団法人特攻隊戦没者慰霊顕彰会のご協力を得て、埼玉県下遺族、戦友、崇敬者団体をはじめ幅広い県民の真心籠るご浄財をもって埼玉県特攻勇士之象を建立し謹んで奉納いたします。

出征兵士之像


平成27年(2015年)11月30日、一般社団法人 埼玉県遺族連合会建立。

左側から
   
右側から

   


建立の趣旨

 昭和16年12月に開戦し、20年8月に終戦を迎えてから今年は70年目を迎えます。国を護り、家族を守るため多くの若い人が故郷を後にして兵士として出陣し、異国の地で戦陣に斃れ病魔に冒され、尊い命を国に捧げられました。遺族として残された者も、今では戦没者の父母は殆ど亡くなり、妻も大半の者が他界し、終戦時、幼児や少年であった私達も高齢化を迎えた此の頃、想い出すのは、若い人が当時赤紙と俗称された召集令状により、親兄弟、親族、近所の人に見送られ軍隊に入隊する姿です。

送れられる者、送る者が

「行ってまいります。後を頼みます。」

「皆さんが留守の間は、私達がしっかりと銃後と家族を守ります。」

という短い言葉で別れを告げ、お互いに見つめ合うだけの事でした。多くの若い人が再び故郷へ帰れませんでした。

 戦後70年、私達遺族は兵士として出征した家族を思い出す縁としてこの像を建立しました。残念ながら、歳月の経過とともに先の大戦の風化が一段と進んでいます。この像をご覧になられた方は、現在の平和な時代のかげには、このような辛い別れをして戦没された人々が居たということを思っていただければ幸いです。

大宮駅へ。