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飛翔 ふれあいと参加 平和 |

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この公園に立つと、何処からか鐘の音が聞こえて来ませんか、その昔鏡の精が美しい姫となつて現れたロマンに満ちた物語の地です。 やかて姫が月に帰るとき歌を残しました。 いざさらば月の世に住む 身なれども 忘れがたなき鐘が宿かな 世代を越えて、大宮市民の心の糧となることを願って公園名としました。 |

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平成14年(2002年)2月22日、木村博昌制作。 平成14年(2002年)6月、建立。 |
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旧大宮市百年の繁栄を築いた先達者の白井助七翁の偉大な業績とその存在を忘れてはならない。 翁は天保12年12月大宮宿大門に生まれ家業の甘藷、肥料問屋を営んでいた。 明治16年日本鉄道会社によって上野から熊谷間に鉄道が開通したが大宮に駅は出来なかった。丁度その頃商工業の発展には駅は必要だと、白井氏は大野伝左衛門、矢部忠右衛門、岩井右衛門八等と共に駅の必要性を説き、そのために必要な土地、資材の提供を申出て熱心な請願運動を展開した。その努力が実り明治18年大宮駅が開設され鉄道の街大宮への第一歩がふみ出された。 その後これにとどまることなく明治25年更に日本鉄道会社の鉄道材料工場建設誘致の運動を展開、これが実って大宮に工場が建設され当時大宮は活気にあふれた。 駅、鉄道工場、街づくり、道路づくりに伴い、仲間と共に土地資材を提供し、鉄道の街大宮の発展に大きく貢献した。 又、鉄道会社より贈呈された謝金を小学校の校舎建築資金に寄贈し、文教の充実にも寄与した。こうした数々の功労により明治28年推されて第三代大宮町長に就任、惜しみなく町政に力をつくした。激務であった町政の執務遂行中逝去された。時に明治29年5月、享年58歳であった。 |

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