2021年佐 賀

偉人モニュメント〜中央大通り〜
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中央大通りの偉人モニュメントを巡る。

SPOT5 日本の近代建築の先駆者


曾禰達蔵・辰野金吾

辰野金吾 1854−1919

建築家、教育者。唐津市出身。唐津藩の英学校「耐恒寮」で高橋是清に学んだ後、明治6年(1873年)、工部大学校(現:東京大学工学部)に入学、同期生の曾禰達蔵らとイギリス人建築家ジョサイア・コンドルのもとで西洋建築を学んだ、日本人初の建築家の一人。イギリス留学を経て、明治17年(1884年)に工部大学校教授に就任し、多くの建築家を育てる。また、造家学会(現:日本建築学会)を創設するなど、建築界の発展に努力した。銀行やホテルなど200余りの建築設計に携わり、国の重要文化財である日本銀行本店、東京駅などの代表作を残している。

SPOT6 明治時代を代表する書家


中林梧竹

SPOT7 青年教育に尽力した社会教育家


田澤義鋪・下村湖人

下村湖人 1884−1955

教育者、社会教育家、小説家。神埼市出身。熊本の旧制第五高等学校で田澤義鋪と出会い、信頼し尊敬する友として終生変わらぬ友情を深める。東京帝国大学(現:東京大学)を卒業後、母校の旧制佐賀中学校で教鞭をとり、旧制の鹿島中、唐津中、台中第一中、台北高校の校長などを歴任。昭和8年(1933年)、盟友の田澤義鋪が開設した青年団講習所の所長となり、共に青年教育に従事。田澤義鋪の生涯を描いた『この人を見よ』や青少年の成長を描いた名作『次郎物語』などを残している。

SPOT8 日本の工学・化学分野の先駆者


黒田チカ・志田林三郎

SPOT9 日本を代表するお菓子メーカーの創業者


森永太一郎・江崎利一

森永太一郎 1865−1937

森永製菓の創業者。伊万里市出身。明治21年(1888年)に渡米し、足かけ12年にわたる修業で西洋菓子の製法を習得。明治32年(1899年)に帰国し、現在の東京都港区虎ノ門付近に、今日の森永製菓の前身となる森永西洋菓子製造所を開設。まだ和菓子が主流の時代に西洋菓子の普及に奔走した。大正3年(1914年)、49歳の時に紙サック入りの「ポケット用ミルクキャラメル」を発売し、爆発的な人気を呼ぶ。日本初の一貫製造によるミルクチョコレートをはじめ、飲用ココア、マリービスケットなど数々のロングセラー商品も生み出した。

江崎利一 1882−1980

江崎グリコの創業者。佐賀市出身。37歳の時に有明海につながる早津江川河畔で漁師が牡蠣の煮汁を捨てる様子を見て、かつて読んだ薬業新聞の「牡蠣に栄養素グリコーゲンが大量に含まれている」という記事を思い出し、グリコーゲンを使用した栄養菓子の開発に着手。大正10年(1921年)に佐賀から大阪へ拠点を移し、合名会社江崎商店を設立。この翌年、40歳の時に栄養菓子グリコを三越で発売。グリコの顔として知られるゴールインマークは、八坂神社(佐賀市)の境内でかけっこしている子供たちの姿からヒントを得て考案された。

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