私の旅日記〜2011年〜
勧成院〜碑巡り〜
東大阪市豊浦町の国道308号沿いに勧成院という寺がある。
国道308号は暗峠。国道とは言っても、ハイキングコースになっている。
貞亨元年(1684年)3月、大淀三千風は奈良坂を越えてくらがり峠を下る。
○此彌生の序おかしく。笠置の窟見めぐり。奈良坂越て生駒山くらがり峠をくたる。
勧成院に古い芭蕉の句碑があった。
菊の香にくらがり登る節句かな
出典は『菊の香』(風国編)。
寛政11年(1799年)12月12日、中村耒耜が建立。
勧成院と松尾芭蕉句碑
勧成院は、山号を梅龍山という日蓮宗の寺院です。室町時代の永正2年(1505年)に摂津国三島郡上牧(高槻市)の本澄寺の寺中として建立されましたが、明治27年(1894年)現在の地に移築されました。この地は、もと法華宗の善導庵という寺院がありましたが、同6年に廃寺となり、その跡へ移されたものです。
境内に入って右側に、寛政11年(1799年)12月12日に豊浦村の俳人中村耒耜(らいし)が建てた「菊の香にくらがり登る節句かな」の句碑があります。この句は、元禄7年(1694年)9月9日重陽、菊の節句に松尾芭蕉が伊賀上野から大阪へ向かう途中に詠んだものです。同年10月12日に大阪で芭蕉は亡くなりました。この碑は、もとは暗峠の街道筋にありましたが、山津波のため行方不明となっていたのを、大正2年(1823年)に発見され、ここへ移されました。境内には、文政8年(1825年)俳諧堂社中によって建碑された中村耒耜の句碑もあります。
また寺には、大正3年生駒トンネル開さくにともなう犠牲者63人の氏名を列記した過去帳が残され、当時の難工事をしのばせます。
東大阪市教育委員会
享和元年(1801年)、『河内名所図会』(秋里籬島)刊。
「椋嶺峠 芭蕉翁碑」