2023年岡 山

泰安寺〜芭蕉塚〜
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津山市西寺町に泰安寺という寺がある。

表 門


泰安寺由緒

 慶長8年(1603年)信州川中島から津山藩主として入国した森忠政に従って来た旧領美濃国の金山涅槃寺住職前蓮社眼誉が南新座に創建した覚王山遣迎院涅槃寺からはじまる。

 慶長14年(1609年)に現在地に移り、森氏は4代で断絶したが、ついで徳川家康の第2子結城秀康を祖とする松平宣富(初代)が入国し、元禄11年(1698年)津山藩主松平家の菩提寺となった。元文4年(1739年)浄光山森巌院泰安寺(結城秀康の戒名浄光院殿森巖道慰運正大居士より)と改めたが、同年更に天崇山翠松樹院泰安寺(徳川秀忠の三女勝姫の戒名である天崇院穏誉泰安豊寿大善女人)となって現在にいたる。

 天保9年(1838年)第7代藩主・斉孝の死去で当山に埋葬されて以来寺格が進み津山三箇寺のひとつとなり諸寺の上班にあった。

 松平家の菩提寺にふさわしい堂々たる構えを持っている。山門までのかなり長い参道の両脇は老松の並木であったが、第2次世界大戦中に松根油の採集で伐採された。本堂・玄関・客殿・庫裡は威風堂々の構えで重厚と威厳を保って目にせまるものがある。

 明治維新後は、かつての藩主の庇護も途絶え戦後は農地改革で寺が所有していた田畑はすべて失い年月と共に荒廃していたが、檀家皆様の御理解ある御淨財によって年々一歩一歩整備充実がなされて往来の格式ある寺の面影がしのばれるようになった。

本 堂


浄土宗の寺である。

右手の植込みに「芭蕉塚」があった。


2023年岡 山