元和3年(1617年)の春に城下町南西部にできた武士町を南新座と呼んだという。 一説には、当初は新座と称していたが、寛永14年(1637年)に西新座の武士町ができたときから、南新座と称するようになったという。 江戸時代の終わり頃には、農民や町人の更生施設として、勧農所や督業場が置かれた。 |
建物は昭和13年、第35代内閣総理大臣平沼騏一郎の古希の祝に、法曹界ならびに郷土の人々が元の場所に生家を復元し、平沼家に贈呈したものです。昭和25年に津山市に寄贈され、翌年から昭和63年まで市立津山郷土館として利用されていました。主屋は木造平屋建桟瓦葺で玄関・台所及び座敷から構成され、南北に庭を配しています。土蔵は木造2階建桟瓦葺、塀は土塀桟瓦葺、表門は腕木門桟瓦葺です。
津山市 |
停車場前の路上には新聞の賣子大勢號外を配布せんとしつゝあり。平沼内閣倒れて阿部内閣成立中なりと云ふ。これは獨逸國が突然露國と盟約を結びしがためなりと云ふ。通行の若き女等は新聞の號外などに振返るもの一人もなし。夜淺草オペラ館に行きて見るに一昨日までヒトラーに扮して軍歌を歌ふ場面もありしが、昨夜警察署よりこれを差留めたりとの事なり。 |