2025年新 潟
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萬代橋〜吉野秀雄の歌碑〜

明治22年(1889年)、新潟市制施行。

萬代橋


国の重要文化財である。

初代萬代橋

橋 跡


開 通
明治19年11月4日

去年會ひしこと思ひ出て新潟の秋草道人文おこします


昭和29年(1954年)10月30日、吉井勇は料亭生粋で会津八一と夕食を共にした。

君見んと今宵もゆきぬ鍋茶屋の庭の燈籠に灯のともるころ

新潟の一夜妻こそをかしけれ船の入るたび嬉しやといふ

生粋の主人下田為吉は再訪を誘い、吉井勇は歌を送った。

降らはゆかむと君にちかひたるその新潟に雪降るといふ

料亭生粋別館庭内に歌碑を建立。

吉野秀雄の歌碑


平成25年(2013年)7月20日、除幕。

碑 面


萬代の
 橋より夜半の
水の面に
 涙おとして
わか去らむんとす

      會津八一先生永眠

   萬代の橋より夜半の水の面に
   涙おとしてわが去らむんとす

この歌は昭和31年11月23日、師會津八一の葬儀を終わり、夜行列車で鎌倉へ帰る途中、萬代橋を渡りながら橋の欄干により、寒夜の信濃川水面に吉野秀雄は悲しみの涙を落として去ったという事実を詠んだ挽歌である。

上越市の船見公園に吉野秀雄の歌碑がある。

新潟市政百周年記念

新潟ブルース歌碑


         補 作 水沢圭吾
         作 詞 山岸一二三
         作 曲 山岸英樹
         補作曲 中川博之
           黒沢明とロス・プリモス
           美川憲一

思い出の夜は 霧が深かった
今日も霧がふる 万代橋よ
別れの前に 抱きしめた
小さな肩よ
ああ 新潟は 新潟は 面影の街

しあわせの夜を 二人過したね
いつかより添った 古町通り
ほのかに白い 指先で
涙をふいた
ああ 想い出の 想い出の 新潟の女

忘れられなくて ひとりさまよえば
青い灯がゆれる 新潟駅よ
愛したわけじゃ ないんだと
強がり云えば
ああ 新潟は 新潟は 霧に更けゆく

知らなかった。

その後、料亭生粋は廃業。

令和4年(2022年)12月、プラウド川端町竣工。

朱鷺メッセへ。

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