私の旅日記
武家屋敷〜水原秋桜子の句碑〜
島原城から武家屋敷街へ。
吉田松陰来訪の地
ここは島原藩士宮川度右衛門(たくえもん)の屋敷跡です。幕末の『島原藩士屋敷図』にも、ここが宮川邸であったことが記されています。
幕末の当主・宮川度右衛門守興(1794−1859)は、種子島流荻野派の砲術師範として、多くの弟子を育てました。
嘉永3年(1850年)12月4日、長州藩士・吉田松陰(1830−1859)が、兵学の研鑽の旅の途中にここを訪れております。
松陰は、この旅について記録した『西遊日記』の中に、
「宮川云、直發砲ニ非サレハ功ヲ成ス事ナシ。故ニ近頃葛論碩ヲ造ル。
(訳・宮川が言うには、直発砲でなければ功を成すことは無い。そのため、近ごろはカノン砲を造る。)
と、この日守興から聞いた話を書き残しています。
島原商工会議所女性会