善光寺縁起によると、昔、天竺(インド)の毘舎離国に月蓋という長者がおり、掌中の玉として大変可愛がっていた一人娘の如是姫が、あるとき流行した悪疫にかかりどんな治療をしても治らなかった。 日頃欲深く、不信心でお釈迦様が仏の心を授けようと訪れても、会おうともともしなかった長者だが、娘の命を助けてくれと涙ながらにお釈迦様におすがりした。お釈迦様は西に向かい南無阿弥陀仏を唱えるように諭され、長者は教えに従い一心に御名を唱えると、阿弥陀如来様と弟子の観世音菩薩様と勢至菩薩様が西の門の上に現れ光を放ち、その光が如是姫の枕元に届くと病気はすっかり治った。 この像は、如是姫が病気の回復を感謝し善光寺如来に香花を捧げ礼讃している姿である。
長野市 |
明治41年(1908年)10月、善光寺の護摩堂(現在の経蔵)前に建立。竹内久一制作。 大正5年(1916年)9月24日、竹内久一死去。 昭和11年(1936年)12月、長野駅前広場に移設。 昭和19年(1944年)2月、台座を残して供出された。 昭和23年(1948年)10月、現在の如是姫像が再建された。佐々木大樹制作。 平成27年(2015年)3月、現在の形に再設置された。 |