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明治5年7月1日、小諸郵便取扱所はこの地に開設され、以来120年。これを記念してここに記念碑を設置する。
小諸郵便局長 |

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江戸時代前期、この場所には街道で運ばれる荷物を中継ぎする問屋場があり、小諸宿の中心でした。この建物は大正時代に建てられた味噌・醤油醸造元の清水屋の店舗で、昔は主屋の奥に醸造や保存のための蔵がいくつもありました。 平成12年(2000年)に小諸市の施設にする時に、大正時代の主屋と中庭はそのまま活かし、奥の蔵は新しいデザインで建て替え、主屋脇にも修景門をつけました。 主屋は、いかにも大正時代らしい大空間で、表に面したガラス戸、格子、腰壁もこの時代にはやったモダンなデザインです。土間には荷物を運ぶためのトロッコの線路がそのまま残され、清水屋さんが使った醸造の道具や仕込み桶もうまく展示され、味噌醤油醸造元の歴史を知ることができます。 |

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寛保2年(1742年)、後に「戌の満水」 といわれる大洪水で本町は流失。本陣や問屋は市町に移ったそうだ。 |

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江戸時代に脇本陣代として建てられた建物で、入口の立派な玄関(向拝)が特徴です。 主屋は、他の江戸時代の建物と同じように厨子二階となっています。 緑豊かな庭をいかした店内はとてもいい雰囲気で、店の天井には昭和になってつけられた明かり取りが見られます。 入口の向拝(ごはい)は、1806年頃のものと伝えられ、当時はやった松や鳥が彫られています。 もともとの間取りは、店から奥まで3つの部屋が並んでいて、真ん中は吹き抜けになっていました。(近年に大幅な改造が行われています。) 平成8年に、先代が空家だったこの建物を残そうと借り受け、自力で改装して土日に蕎麦屋をはじめました。 これは本町の町並み再生の先駆けとなる取組みで、その後まわりの建物も徐々に修景が進みました。
NPO法人 小諸町並み研究会 |

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小諸はこの傾斜に添うて、北国街道の両側に細長く発達した町だ。本町、荒町は光岳寺を境にして左右に曲折した、主なる商家のあるところだが、その両端に市町、与良町が続いている。私は本町の裏手から停車場と共に開けた相生町の道路を横ぎり、古い士族屋敷の残った袋町を通りぬけて、田圃側の細道へ出た。そこまで行くと、荒町、与良町と続いた家々の屋根が町の全景の一部を望むように見られる。白壁、土壁は青葉に埋れていた。
島崎藤村『千曲川のスケッチ』 |
