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細かに思へば、江戸の日本橋より唐・阿蘭 陀迄境なしの水路也
海国兵談 |
| 江戸時代中期の経世学者、兵学者。元文3年(1738年)6月21日江戸に生まれる。兄が仙台藩に仕えたので、20歳の時一家は仙台に移り住んだ。経済や国防の問題に深い関心を抱き、領内はもちろん、江戸、長崎、さらに蝦夷地(北海道)までも遍歴、学問を重ねた。特に長崎で西洋の事情と知識を吸収、その中でヨーロッパ列強の侵略やロシアの南下政策を知って、四面海に囲まれた日本を守るにはどうすればよいかを追究した。天明6年(1786年)出版した「三国通覧図説」では、朝鮮、琉球、蝦夷および小笠原諸島の地図と地理、民俗を記載し、海外に関する知識の普及に努めた。ついで翌天明7年(1787年)から有名な「海国兵談」を著し、海国たる日本の全国的な沿岸警備の必要性を強調した。「海国兵談」の出版は資金難に苦しみながら寛政3年ようやく全部出版されたが、同年幕府は無断で国防を論じた罪で板木を没収、蟄居を命じた。落胆した子平は「親もなし 妻なし子なし 板木なし 金もなければ 死にたくもなし」と詠じて六無斉と号し、寛政5年(1793年)6月21日仙台で死去した。56歳。 |
