2025年京 都
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わだつみの像〜立命館大学国際平和ミュージアム〜

明治33年(1900年)6月5日、中川小十郎は京都法政学校創立。

大正11年(1922年)、立命館大学設置。

京都市バス50「快速立命館」で「立命館大学前」下車。

京都市北区等持院北町に立命館大学がある。

折しも卒業式だった。

立命館大学に国際平和ミュージアムがある。


見学資料費(入館料)は400円。

 昭和24年(1949年)10月20日、『きけわだつみのこえ』東京大学協同組合出版部により出版。

 昭和25年(1950年)4月22日、日本戦没学生記念会(わだつみ会)結成。本郷新に依頼し、戦没学生記念像を制作。

 昭和28年(1953年)12月8日、立命館大学広小路キャンパスに建立。

像と共に未来を守れ

未来を信じ未来に生きる。そこに青年の生命がある。その貴い未来と生命を聖戰という美名のもとに奪い去られた青年学徒のなげきと怒りともだえを象徴するのがこの像である。本郷新氏の制作。

 なげけるか いかれるか はたもだせるか

 きけ はてしなきわだつみのこえ

この戰歿学生記念像は廣く世にわだつみの像として知られている。

立命館大学総長 末川博しるす

 昭和44年(1969年)5月20日、大学紛争の最中に破壊される。
 昭和45年(1970年)12月8日、広小路キャンパス研心館に再建。
 昭和51年(1976年)5月20日、衣笠図書館に再建立。
 平成4年(1992年)2月、現在地に移設。
 平成4年(1992年)5月19日、国際平和ミュージアム開館。

わだつみの像


左側から
   
右側から

   


火の鳥


ムッちゃん平和像


左側から
   
右側から

   


 防空壕に一人とり残され、戦争が終わったことも知らずに飢えで死んでいった「ムッちゃん」。当時国民学校6年生。横浜で空襲にあい、母と弟が行方不明になって、大分市のおばの家に預けられましたが、結核がうつるからと、防空壕で寝起きさせられていたと伝えられています。「ムッちゃん」最期のようすが新聞で伝えられると、大きな反響を呼び、全国から寄せられた基金で、彫塑家・村上炳人(へいじん)さんの「ムッちゃん平和像」が制作され、大分市の公園に設置されました。村上氏のご遺族のご厚意で、その原像が本ミュージアムに寄託されました。

制作者・村上炳人
(1916年−1997年)略歴

 富山県高岡市の生まれ。彫刻家。二紀会理事、評議員を歴任。代表作に「救世観音菩薩像」(大阪四天王寺金堂本尊)、「近松門左衛門像」(尼崎市近松公園)などがある。見学資に設置されている。「末川博名誉総長の座像」、「人間模様」も村上氏の作品である。

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