2015年京 都

放生院〜上田三四二の歌碑〜
indexにもどる

宇治市宇治東内の宇治橋東詰に放生院という寺がある。


橋寺放生院


真言律宗の寺である。

宇治橋の守り寺と呼ばれている橋寺は、推古12年(604年)に聖徳太子の発願により秦河勝が建立したと伝えられています。宇治橋はしばしば流出し、弘安9年(1286年)には西大寺の僧興正菩薩叡尊によって再興されますが、叡尊は宇治川の中洲に十三重石塔を建立するとともに、当寺で大放生会を営んだことから、橋寺は放生院とも呼ばれるようになりました。本尊として鎌倉中期の地蔵菩薩が安置されています。また、当寺には宇治橋がはじめて架けられたことを記念した石碑がありますが、上の三分の一ほどがわが国の石碑に中でも最も古いもので、宇治橋断碑といわれています。

上田三四二の歌碑があった。


新年同詠橋

橋寺にいしふみ見れは宇治川や大きいにしへは河超え賀祢吉(かねき)

兵庫の生まれ。上田三四二はアララギ派の歌人。医師。

平成元年(1989年)1月8日、没。

芭蕉の句碑もあった。


木かくれて茶つみも聞くやほとゝきす

出典は『炭俵』(野坡・孤屋・利牛共編)。

元禄7年(1694年)夏、深川の芭蕉庵で詠まれた句とされる。

2015年京 都〜に戻る