明治25年5月、京都と奈良に国立の博物館を設置することが定まった。陳列館の建設工事は25年6月からはじまり、28年秋に竣工している。開館したのは30年5月である。建坪は3015平方メートル、部屋数は大小17室平屋建煉瓦造、ネオ・ルネッサンス様式を基調とした、明治洋風建築の代表的な遺構である。正門や左右の煉瓦塀とともに、旧帝国京都博物館陳列館として、昭和44年3月重要文化財に指定された。片山東熊博士の設計である。 正面破風の彫像は、技芸天女と毘首羯摩で、ともにインド神話における工芸と彫刻の祖神だとされている。ギリシャ的な建築装飾を東洋的な解釈によってあらわしたものである。 |
この石塔2基は、現在地から北東に500mほどに位置するの馬町(東山区渋谷通東大路東入ル)の路地裏にあった。塚の上に並んで立ち、源義経の家人、佐藤継信・忠信兄弟の墓と伝えられていた。江戸時代の『都名所図会』に見るように、北塔は五層、南塔は三層となり、地震で落ちたと思われる上層の石は、塚の上留めとして残されていたという。 昭和15年(1940年)に解体修理が行われ、現在の十三重塔の姿に復元された。その際、小さな仏像や塔などの納入品が、両塔の初重塔身の石に設けられた孔の中から発見されている。 両塔は、ともに花崗岩製。南塔の基礎正面に、「永仁3年(1295年)2月、願主法西」の刻銘があるが、北塔に銘文はなく、2基の十三重石塔が造られた経緯は明らかにされていない。 |
佐藤氏の兄弟ハ忠肝 義膽の人にして漢の 紀信宋の天祥にも おとらざるの英臣也 美名後世にかゝやきて 武士たらん人ハ慕ひ 貴むへき也 此石塔婆昔ハ十三重と見 たり星霜かさなりて 次第に崩れ落今ハ 土臺の廻りに圍あり
『都名所図会』より |