2023年京 都

同志社大学〜新島襄〜
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 京都市営地下鉄烏丸線「今出川」駅下車。北改札口から同志社大学(HP)「今出川キャンパス」へ。

彰栄館


立志の碑


平成22年(2010年)3月31日、同志社中学校建立。

 1875年新島襄は、山本覚馬と「同志社」を結社し、同志社英学校を開設した。中学校は1896年に同志社尋常中学校としてこの地に誕生し、1943年同志社中学校と改称した。

 本記念碑は、同志社中学校が国の同志社中学校である、「彰栄館」や「礼拝堂」を有し、2010年3月末日までの永きに亘、創立の趣旨と伝統を受け継ぎ、「自由・自治・自立」の教育理念を掲げ、数々の教育の成果と多くの卒業生を輩出したことを証するものである。生徒・教職員は「彰栄の鐘」の音に託される創立者messageを胸に、この地において揺るぎない「志」を建てた。

礼拝堂

明治19年(1886年)竣工。面積327.23u(延379.85u)プロテスタント教会の煉瓦造りの礼拝堂としては、現存する中では最古のものである。同志社の礼拝堂としては二代目(初代は木造)。資金は彰栄館や有終館と同様にアメリカン・ボード(会衆派教会)からの寄付で、設計も同志社教員(アメリカン・ボード宣教師)のグリーン(D.C. Greene)である。施工者は有終館を請け負った京都の棟梁、三上吉兵衛。同志社創立者の新島襄が、「礼拝堂は同志社の精神」と言うように、「良心教育」を目指す同志社のシンボルでもある。徳冨蘆花が同志社時代を題材にした小説「黒い目と茶色の目」で「五色の光線」が降る、と形容したステンドグラスを通して堂内に差し込む光がやさしい。

1963年に国の重要文化財に指定され、1987年から1990年まで半解体修理工事が行われた。

紅白の梅が咲いていた。

寒梅の碑


真理似
寒梅
侵風雪

なかなか読めなかった。

真理は寒梅の似(ごと)

敢えて風雪を侵して開く

教え子の深井英五(後の日銀総裁)に書き贈った色紙の言葉だそうだ。

クラーク記念館


明治26年(1893年)竣工。面積398.87u(延799.39u)。新島襄が死去した翌年に亡くなった息子(B.C.Clarke)を記念して、ニューヨーク州ブルックリン市(現ニューヨーク市)在住のクラーク夫妻が、同志社のために捧げた寄付金をもとに建てられた神学館。2階の北側が礼拝堂として使われた。1963年に現在の神学館が竣工するまで「クラーク神学館」と呼ばれ、神学教育の中心施設であった。亡くなったB.S. クラークを記念するタブレットには、The study of the Word of God was dear to him.とある。設計は東京の「官庁集中計画」のためにお雇い建築士として日本に召喚されたドイツ人のゼール(R.Seel)で、来日前に手がけた西プロイセン州議会議事堂に模して重厚なドイツ・ネオ・ゴチック調に仕上げられている。特に天を突くようにそそり立つ尖塔は、同志社のシンボル的存在となっている。施工は京都の棟梁、小島佐兵衛。1979年、設計図、仕様書も含めて国の重要文化財に指定された。



この道を伝えざれば
人これを聞くを得ず
聞くを得ざれば人
これを信ずるを得ず
信ぜざれば人救わ
るる事を得ず

新島襄

良心の碑


良心之全身ニ充満シタル丈夫(ますらお)ノ起リ来ラン事ヲ

 同志社の創立者、新島襄(1843−1890)が同志社普通学校5年生の横田安止(やすただ)に送った手紙(1889年11月23日付)の中の一節。新島襄の自筆を拡大して刻む。

 「一国の良心」となる人物の養成を使命とした新島の教育理念を端的に示す。同志社創立65周年記念日(1940年11月29日)に除幕。

 裏面に徳富蘇峰の筆で碑の由来を彫る。

「新嶋先生、同志社大学[設立]運動中、東京ヨリ在校の一学生ニ与ヘタル書簡中ノ一節ヲ録ス。先生永眠五十周年ニ際シ追慕ノ餘、門生胥議シテ之ヲ先生故郷[群馬県]ノ産、碓氷石ニ勒ス

昭和十五年十月

蘇峰 徳富正敬書


石ハ社友 半田善四郎君ノ寄贈ナリ」

同志社大学
創立1875

 昭和28年(1953年)12月8日、立命館大学広小路キャンパスに「わだつみ像」(本郷新制作)建立。

 昭和44年(1969年)5月20日、大学紛争の最中に破壊された。

 昭和45年(1970年)12月8日、広小路キャンパスに「わだつみ像」再建。

 昭和51年(1976年)、旧衣笠図書館に再建立。

 平成4年(1992年)2月、立命館大学国際平和ミュージアムに移設。

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