その時「半折に書き残した句「れいろうとして水鳥はつるむ」が掛け軸としてと了円寺に残されている。あさぎり町指定有形文化財。 |
『山頭火句碑集』(防府山頭火研究会)によれば、55番目の山頭火句碑である。 |
免田には文学碑が一つもない。何か良案はないかとの事から幸いに山頭火が来免し、記念に残した俳句が了円寺にあり、これを碑にしようと決められ、上村在住の郷土史家・高田素次らが発起人となって建てられたものである。 山頭火が免田の了円寺住職であった川津寸鶏頭(本名・勝見)を訪れたのは昭和五年の春のことである。寸鶏頭は、山頭火と同じ「層雲」に属していた自由律俳人であり、翌年の昭和六年十月十一日に二十六歳の若さで夭折している。 すでに病床にあった句友の寸鶏頭を見舞った山頭火は同寺に一泊し半切の句を残している。「れいろうとして水鳥はつるむ」
『山頭火句碑集』 |