「明日は七夕である。1年に1度の牽牛、織女の出会いが明夜だと思うと、今見上げている6日の夜空も心なしか甘さ、妖しさが感じられるようだ。」という句意と思われる。
文月は旧暦7月、元禄2年(1689年)七夕の前夜、直江津での作句である。
松尾芭蕉は、正保元年(1644年)伊賀上野に生まれ、俳句の道を志し、20歳の頃に初めて俳書に掲載された。寛文12年(1672年)江戸へ出て創作活動を続け、元禄2年3月末、弟子の曽良を伴い奥の細道の旅に出ている。
芭蕉は、旧暦7月2日新潟、3日弥彦、4日出雲崎、5日鉢崎(現柏崎市)を経て、6日に今町(直江津)を訪れ、翌7日も滞在し、8日から10日まで高田で過ごしたようである。
文化年間、地元の俳人福永里方らが建てた句碑であるが、幾度かの大火で焼け、慶応年間に福永珍玩らが再建したものである。
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昭和40年(1965年)、山口誓子は琴平神社に句碑を訪ている。
「文月や」の句碑が、直江津にある。
荒川の左岸、河口に近い琴平神社にある。菱形の自然石。
「文月」は陰暦の七月。その六日は、七夕の前夜とて、どことなく常の夜とちがう。「六日も」の「も」に思い入れがあるのだ。
六日の夜は、芭蕉は今町(直江津)に泊っている。この句を直江津の作とすれば、直江津にこの句碑があるのは当然である。海にちかい、いいところに立っている。裏面に何の記載もない。
『句碑をたずねて』(奥の細道) |
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